2018年9月30日日曜日

研究室システムのイイトコ取り

採用の話をして思い出したこと。

自分は、
卒研時代(ICUだったが、外研で理研和光)

大学院生(東大分生研←今は名前が変わった)

学振PD(東大総合文化)

基礎特研・さきがけ・研究員(理研横浜)

という流れで、研究室を渡り歩いてきた。

最初の卒研時代は1年間だったので、あまり数には入らないかもしれないが、こうやって研究室を渡り歩くことによって、自分の研究室を作る際に「イイトコ取りを」できるというメリットがある(イイトコを方中にした意味はたいしてない。。)

自分がいた研究室のいいところを合わせることで、研究室システムを立ち上げるのにとても役立った。

ではそれぞれの研究室のどこがよかったというと、

東大分生研T研
テーマが恐ろしく広くて、そして面白い。そのため、一人に与えられる裁量、そして期待が大きかった(それはものすごく大変であることの裏返しであり、死にそうだったが・・・笑)。大変ではあるが、任されれば頑張るのが人間である(繰り返すが、死にそうだった笑)。

東大総合文化I研
○ラボスペースの有効活用がとても上手。PDだった自分だけでなく、助教の先生も自分の実験ベンチはない。すべて共通(デスクはそれぞれにある)最初は、え?実験できるの?と思ったが、必然的にベンチを片付けなければいけないシステムなので、むしろ割と快適に実験できた。

理研H研
○理研全体がそうかもしれないが、大学と違い、「仕事」として研究をしている意識が強かった。パートタイマー、派遣職員、テクニカルスタッフなど、大学よりも役割分担がきっちりしている。また、残業など対してもとても厳しいので(PIや研究員は除く笑)、仕事の割り振り方の勉強になった。

ということで、これらの研究室の良いところを合わせ、
1. 研究分野はなるべく広く、各人に個別のテーマを与えている(学部3年生のうちは最初は一緒にやることもある場合も)。

2. ベンチやデスクは共通(←これはそもそも不可能・・その分、実験機器類はしっかり揃っている)

3. テクスタのサポートがあるので、結果が出やすい

というシステムを構築した。もちろん、システムの改善に終わりはないので、どんどんよくしていきたいと思っている。

研究室を渡り歩くことによって、イイトコ取りができる。1、2ヶ月客員としているだけでもいろいろ学べると思う。大学教員になってからも、サバティカルを利用してどこかの研究室に所属することがある。これは「システムそのものを学ぶ」ためではないかと思っている。

まだまだいろいろとアイデアを出して、より良い研究室にしていきたいと考えている。

2018年9月29日土曜日

新学期といえば、職員食堂。

いよいよ新学期が始まった。夏休みは、休んだ気もするが、働いていた気もする・・それでも、普段よりはのんびりできたかもしれない。

夏休みの間は、いろいろなものが休みになっている。その1つが教職員食堂である。

夏なので、普通の食堂も空いているとのことで、教職員食堂は1ヶ月半くらい休みになる。それも再開された。


こちらは久しぶりに食べた教職員食堂の白身魚の香草パン粉焼き。小鉢も2つ付いてとてもヘルシーである。。。結構ボリュームがいっぱいで、お腹いっぱいになる。追加でデザートを注文できる(プリンとかただし数量限定。)。

教職員食堂については、こちらのグルメブログでも紹介していた。
6月のころのメニュー。

そうか・・・6月ってワールドカップやっていたのだっけ・・・あんなに盛り上がって、すぐに忘れてしまった。典型的なにわかである。。笑


さてさて、今学期も食堂で栄養をつけて、いろいろがんばりましょう。

2018年9月28日金曜日

全体注意の難しさ。安易に注意すると、不平等が増すことも。

研究室にはたくさんの人がいる。ルールを決めないと廻らない。物品の発注方法や掃除や廃液のルール、共通機器の使用ルールなど、様々なものがあるのではないかと思う。

ルールを決めておいて、全員がきちんとやってくれればトラブルは起きない。でも、そんな理想的な状態になることは稀である。

例えば何人かが掃除をサボった時に、「掃除をサボらないようにしっかりやりましょう!」というのがPI(ようするに教員)の仕事でもある。

でも、全体注意は難しい。じつは安易に注意すると、不平等が増すこともある。

なぜかというと、全体に注意すると、
1. 普段からしっかりやる人は、話をよく聞くので「しっかりやらなきゃ!」とさらに頑張ろうとする。

2. サボっている人は、聞く耳をもっていないので、注意を聞き流す

このため、頑張っている人がさらに頑張ってしまい、そうでない人との差が余計広がってしまうことがある。

なので、全体に注意しておけば研究室が廻るかというと、実はどんどん悪化する可能性がある。

うちの研究室も昨年度はこんな状況になってしまったので、いくつか改善をしてみた。学生たちも自分たちでルールを考えて実行している(例えば何回共通のガラス器具の滅菌作業をしたかを、シールで貼って数えている)。

研究室のルール作りはとても難しく、でも組織を作る練習にもなると思う。新しい研究室だからというわけではなく、所属する人によって最適なルールも変わってくると思う。自分たちでルールを考えることも、立派な勉強になることだと思っている。自分は、不平等にならないように、目を光らせることが重要である。

2018年9月27日木曜日

さあ、環境バイオテクノロジーの講義がはじまる!

さていよいよ講義がスタートする。秋学期は講義が1つしかない(実習は週2もあるが・・・)。

その1つの講義は、環境バイオテクノロジーである。

こちらは専攻科目で3年生、4年生が対象の講義になっている。

「バイオテクノロジー」と付いているだけあって、最終的には技術的な話になっていく。

RNAiやゲノム編集、バイオプラスチックやバイオディーゼル、水素エネルギーなどの話が出てくる。

ただし、その前には遺伝子や代謝の基礎の話をしなければならない。DNA修復や一次代謝の分子生物学・生化学教科書的な復習をする。

なんで分子生物学や生化学をやらなければいけないのかと思うのだけれど、上記の技術がこれらをベースにしているからである。

プラスチック原料がクエン酸回路や乳酸発酵から出来ますと、これまで習った生物学が、実は産業につながっていますというのがこの講義の主題である。

専攻科目としては、春学期(前期)に生命システム工学、秋学期(後期)にこの環境バイオテクノロジーを担当している。

春学期には、2年生用の分子生物学も担当しているのだが、教える側としては、分子生物学は比較的楽である(必修で受講人数がかなり多い点では大変だけれど)。

なぜかというと、分子生物学は教科書に沿って進めるので、体系立っているからである。

それに比べ、生命システム工学や環境バイオテクノロジーは、教科書的なものがあまりない(あることはあるが、著者の定義によるものになっていて、本農学部の内容とは少し異なることが多い)。なので、いろんな分野を掻い摘むことになり、受講する方も少しもやっとするかもしれない。

しかし、3年生以上になると、そういう境界領域の勉強に入っているとも言える。教科がはっきりしていて、暗記がメインという時代は終わりに近いとも言える。

ということで、教える方も結構難しく、農学部の学生に役立ちそうな内容を考えながら進めている。今年は今のところ80人以上受講しそうなので、結構大変そうである。。もちろん楽しみでもある。。

2018年9月26日水曜日

メモを取るくせをつけよう

教員、研究者として、一番疲れることの1つが、「同じ質問を何度もされること」である。

教えることが仕事なのだけれど、一度教えたことを全く覚えていないで、何度も質問される。これは本当に疲れるし、次から教える時も、「また、何度も繰り返さなければいけないのか・・・」という思いながらになる。

どんな人間でもずっと覚えていることは不可能である。だからメモをするなり、PCやスマホに記録しておかなければ、忘れてしまう

自分が雇用して「仕事ができるなあ」と思う人の多くが、メモを取るなど、自分なりの方法で忘れない工夫をしている

人から教わったことを忘れないのだがら、どんどん能力がアップしていく。だから、仕事ができるようになる。

当たり前のロジックかもしれない。

学生の場合、何度教えてもすぐ忘れてしまう場合には、まず記録を残す習慣を付けさせることから始めなければならない。でも、正直、そんな基礎的な段階から教えるのは、日々の忙しさを考えると不可能に近い。

だからこそ、こういうブログで伝えているのであるが、なかなか全部の記事が読まれるわけではない。それに読んだとしても、実行するとは限らない。実行する方が少ないのではないかと思う。

痛い目に合わないと、自分の習慣を変えることは難しい。しかし、痛い目に会う前に改善して欲しいというのが、教員の希望であるのだが、はたして。社会人になって失敗してしまう前に、ぜひ学生のうちに習慣付けて欲しいと願っている。

2018年9月25日火曜日

ポスドクやテクスタの採用方針について 番外編2 コミュ力を推し量るには

ポスドクやテクスタの採用方針について、少し思い出したことがあるので追記。

最初の書類選考や応募時の連絡で印象の悪いものがある。

それは何かと言うと、

某研究機関で働いています。
某研究室で働いています。

という感じで、現在の身分を隠して応募して来る人である。

一般の就職活動の本にもこれに近いことが書いてあるので、就活生だったら知っているかもしれない。ネットでもこんな意見を見たことがある気がする(←誰か似たようなことを書いていた気がするので、オリジナルではないです。共感)。

たとえば面接でアルバイトについて聞かれた時に、「某ファーストフードでアルバイトしています」みたいな返答をすると、かなりのマイナス点になるみたいなことが書いてあった。「なぜ、マクドナルドと言わない?」と感じる。就職活動のやり方で検索するとこれに近いことがいっぱい出てくると思う。

これについては、採用側になるとすごく同意する。その理由は2つ。


1つ目は、プライベートなことを言えない当たり前だけれど、現在の職場や所属を言えないってどういうことだろう・・・と勘ぐってしまうことである。問い合わせをされたら、まずいのだろうか?と思ってしまう。

もちろん、転職活動をしているだけで、現在の所属から不利益を被ってしまうこともあるかもしれない。なので、気持ちはすごくわかる。応募内容は当然秘密なのだけれど、相手方がそれを漏洩しないという保証はない。隠したい気持ちは本当にわかる。

でも、採用する側としては、そこまで配慮して、どこの人かかわからない人を採用する危険を冒せない。

前回も少し書いたが、応募者がみんな善良で優しい人だったらよいが、残念ながらそんなことはない。平気で嘘を書いてきたりすることもある。都合の悪いことを隠してきたりもする。実は身分が違ったとか、退職する原因が本人が原因のトラブルだったとかはよくある。

単になんとなく知られたくない人もいるかもしれないけれど、上のように書いている場合には、だいたい書類選考で断っている。ひょっとしたら「現在の所属に迷惑をかけないように・・・」と思っているのかもしれないけれど・・・。そうだとしたらすごくもったいない。


そして2つ目は、コミュニケーション能力を疑ってしまう

どんな仕事でもコミュニケーション能力は大事だと思う。研究でももちろん大事。

定義は様々だと思うが、コミュニケーション能力とはようするに、他の人と過不足なく情報を共有できるかどうかだと思う。

必要な情報を必要な頻度で、必要な人たちと共有できるかどうか

だと思う。必要な連絡をしなければトラブルの元になったり、いいアイデアを取り逃がしたり、協力を得られなかったりする。一方で、相談があまりにも多すぎても誰かの仕事が滞ってしまう。情報共有の取捨選択はセンスであり能力であると思う。なので、某所的な言い方だと、この能力を疑ってしまうことがある。

また、自分だけ知っているということで優越感を抱こうとしたり、「そんなことも知らないの?」と他人を見下そうとしたりする行為をしたがる可能性もある。こういうマウンティングは、職場のトラブルの元であるので(さすがに某と書いただけではそう思わないけれど・・・)。

ということで、もしなんとなく職場を隠している人は、就職活動にマイナスなので止めた方が良いと思う。

どうしても転職活動をしていることを知られたくないのならば、そのように書けば良いと思う。それでバラしたりするようなところならば、行かない方が良いのだろうし。

長々と続いた採用方針については、一旦今回で終わり。また思いついたら書きます。

2018年9月24日月曜日

私立大学での研究戦略

このところ、論文投稿が立て込んでいる。先週3本投稿。
今週〜来週(たぶん)にも、2本投稿する予定である。みんな頑張っている。

この5本は、全部博士前期課程(修士課程)の学生が筆頭著者である。M2が3人とM1が2人。

あ、書いてて気づいたが、うちの修士の学生全員だ・・・そうか、偶然だけれど、この2週間に論文投稿の時期がかたまった。他人事みたいだけれど、修士で筆頭著者論文ってすごいねと思っている。。

明治大学農学部農芸化学科に所属しているが、実は理系にしては珍しく、学部卒の方が多い。現在は大学院進学率(修士課程への進学率)が3割を切っている。

就職の明治であり、就職活動の状況を見ていても、大学のサポートもあるし、就職は良さそうに思える

なので、大学院に進学する学生が少ない。理系なので修士くらいは取っておいてもいいのかなとも思うのだけれど、まあ、それぞれの進路によるので。

そして、博士課程(本学では博士後期課程と呼ぶ)への進学ともなると、年に1人いるかいないかである。うーん、少ない。このくらいだと、結構手厚いサポートが得られて美味しいとは思うのだけれど。助手制度もあるので、給料ももらえる場合もある。

いずれにせよ、幸い今はポスドクとテクスタがいるが、博士課程の学生がいない中での研究戦略を練らなければならない。

で、どうしているかというと、「学部生のころは練習!」ではなく、「(1、2ヶ月の基礎実習はあるが)いきなり研究!」にしている。


いや、そもそも、「学部生は研究の練習」というのが好きではない。自分は学部生のころに理化学研究所に1年間いたのだけれど、ベクター作りとHis-tagタンパク質の精製だった。
これらの実験自体はまったく悪くないのだけれど、問題はすでにそのベクターやタンパク質はあるのだけど、練習でもう1回作ってみるというところだった。その先に違う目的があるのならば同じ作業、どのような実験でもよいのだが。

はじめは新しい空間だし、見るものすべて新鮮だけれど、だんだんそれらは失われる。そしてやっていることが、「そこにあるものをもう一回作るのか・・・」だと、テンションも落ちてくる。それで、修士は違う研究室に進むことにした

ということで、戦略としてだけでなく、学生本人のやる気という意味でも、いきなり研究というスタイルにしている。修士の学生たちが論文を投稿しているという意味ではある程度機能していると思う。

悩みどころとしては、どうしても短期的な仕事になってしまい、リバイスに1年、2年を費やして、良いジャーナルに出す!ということが困難なところだろうか。チャレンジは続けるけれど。

いずれにせよ、学生たちはとても頑張って、自分の論文を書いている。みんなが論文を書くと、先生の仕事も指数関数的に増えてくるのだが・・・笑。まあ、嬉しい悲鳴ではあるけれど。せめて事務手続きをやってくれるアシスタントが欲しいが・・・まあ贅沢なことなので、、、頑張るとしか言えない。。

2018年9月23日日曜日

ポスドクやテクスタの採用方針について 番外編1 こんな嫌な目に遭うことも 

ポスドクやテクスタの採用方針についての話をしてきたのだけれど、少し番外編を。

採用のダークサイド(嫌な面)について
>黒い部分なので、真面目に何かを学びたい人は読まなくてもいいです・・・


ポスドクやテクスタの募集は、JREC-INなどの研究系のサイトで募集をかける。Indeedなどの一般のサイトで募集をかけたこともあるが、ちょっと違ったように思う。

何度もいうが雇用というものはとても重い。募集をかける方も大変で、結構嫌な目に遭ったもする


1. 「誰かが困っているので助けてあげてください」とお願いされる。助けないと「ひとでなし!」「冷たい!」みたいに言われる。

採用は研究などの「仕事の募集」であって、別に人助けではない

たまに「誰々さんの来年度の仕事がないみたいなんだけど、どうか?」という話がくる。これ自体は別に悪くもなんともない。こちらにとってもいい話かもしれない。全然OK。

でも、「仕事なくて困ってるから」が最大の理由だと困る。こっちだって慈善事業ではなく仕事なので。

そして、そんなに頻度は高くないが、断ると「困ってるんですよ!?かわいそうじゃないんですか?」みたいな逆ギレを言われる場合すらある。いや、親じゃないんだけど・・・と言いたくなる時もある。

また、人には頼むが、自分は人に紹介するという行為でしか助けない人もいる。だれかに頼んだり紹介するだけならば自分の懐は痛まないし、採用がうまくいけば感謝される。採用が失敗したら採用側のせいになる。助けてあげてくださいと頼むだけ、紹介するだけならば、じつはいいことづくめなのである。

ということで、困っている人を本気で助けたかったらまずは自分が身銭を切ってほしいと思っている。そういうと、たいていの場合は、「自分は苦しいので・・・」となるが。いや、生活費は削る必要ないけれど、旅行代とか飲み会代とかはカンパしてあげれば?と思うが、そういうことはやらない。もちろん本気で誰かを助けたいと思っている人もたくさんいると思うが、そういう人は、誰かに頼むのは最後の手段だと思って、さっさと自ら行動している。

繰り返すけれど、別に「だれだれさんどう?」みたいに聞かれるのは全然嫌ではない。歓迎。でも、断る権利くらい欲しい。


2. 採用を断った人からのいたずらメール

採用は難しい。すべてがマッチしてやっと雇用契約になる。スペックが高すぎる場合も「この人に見合う給料は出せない・・」となり断ることがある。なので、繰り返すが採用は断る方が圧倒的に多い。しかし、採用を断れられれば腹がたつ。誰だってそうだろう。

断った人からのいたずらメールなんてのも来たことがある。偽名を使ってポスドクやテクスタの応募を撹乱なんてこともあった。いやはや、採用しなくて本当に良かったと思う。自分では匿名のつもりなのだろうけれど・・・

採用に関するツイートで、「応募者に対してもっと優しく!」というものはよく見る。賛成ではあるのだけれど、中には悪意のある人もいることは、ぜひ知って欲しいと思う。


上の例とは反対に、「すごく迷ったけれど、今回の募集には合わなかった・・・でも人材としては欲しかったな・・・」という人に限って、断ったあとにも、とても丁寧なお返事をいただく

こちらも改めて「ああ、、やっぱりいい人だった・・・」と思う。今まで募集をした経験上、結構な確率でこういう体験をしている。おそらく、すぐにどこか次の職が決まっていることだと思う。

多分だが、こういう人は実力や実績があるので、それなりに余裕があるのだと思う。なので、「まあ、そのうちどこか受かるからいいです。。」くらいなので、断られてもお礼をいう言う余裕すらあるのではないかと推察している。

ということで、採用にはこんなダークサイドもある。まだ、かわいい方だと思うけれど。

採用というのはとても大変なので、あまり採用活動をせずに、良い人を雇用して長く働いてもらうのが最高だと思っている。今うちの研究室に所属するポスドク・テクスタには、理研時代から引き続いて働いてくれている人が2名いるが、こういう人たちに長く安定して働いてもらえる基盤を整えたいと考えている。しかし、人件費を獲得するのは至難の技ではあるのだが・・・。

2018年9月22日土曜日

今週から秋学期。。

今日は休憩で別の話題を。

今週からいよいよ秋学期がスタート。

明治大学の場合、前期・後期という呼び方ではなく、春学期・秋学期という呼び方をする。どういう経緯でこのようになったのかはわからないが。他の大学はどうなっているのだろうか。

夏なので、それなりに休めはしたが、仕事がいっぱいである。これで休んだと思われるのは非常に辛い(笑)。特に今は論文が集中している。これは素晴らしいことなのだが、論文を書けば書くほど、自分の仕事も増える。なんか矛盾している気がしているのだけれど、まあ、ないものねだりで幸せなことなのだと思う。

秋学期は、講義は1つだけ。そのかわり、実習が週2回。春学期は、講義が3つに実習が週1回なのでそれよりは楽だろうか。

担当する化学実験は、なぜか他学科である農学科の担当になっている。しかし、受講者が少ないので、比較的こちらの負担も少ない(そのうちカリキュラムの改正がある気がする)。安全面で注意が必要な実験なので、少人数なのはこちらもありがたい。

夏休みが終わってしまって残念なのは、教員になっても変わらないが、秋学期も頑張って研究や教育を進めていきたい。

2018年9月21日金曜日

ポスドクやテクスタの採用方針について No.6

ポスドクやテクスタの採用方針について No.6。

書類選考後は、必ず面接をする。やはり書類だけではわからないので、面接は必須である。

だけれど、正直難しい。

面接の時は、みんな明るく元気になる。いいことばかり言おうとする。なので、本当にどういう人であるのか短時間で見抜くのは難しかったりする。

自分の場合、必ず言うのが、「採用面接のときに無理をすると、仕事が続かないので、無理をせずに本音ベースで話してください」ということだろうか。

面接の時に給与や出勤時間などについて話すのだけれど、実は不満なのに、受かるために「大丈夫です!」という人も結構いる。それですぐに辞めてしまったら、お互いのためにならない。

前の書類選考の記事では述べなかったが、職を転々としている人は、やはりマイナスな印象が強い。絶対的な指標ではないし、IT系だったら多いのが当たり前かもしれない。それでも、無理をして勤めてすぐに辞めてしまわないことは、本人のキャリアにとっても非常に重要であると思う。

自分の場合、面接は採用試験ではなく、条件が合うかどうかの交渉・相談、すなわちマッチングであると思っている。
条件が合わなければ、ポスドク・テクスタ候補者の方から断れば良いと思っている。

そうはいっても、面接ではとりあえず無理をして大丈夫ですと言ってしまう人が多いけれど・・・。本当に、お互いのためにならないので、正直に話して欲しいのだが・・・。まあ、言いにくいか・・・どうしたらよいのかは考え中。

ポスドクやテクスタも、選ばれる方だけではなく選ぶ方でもあると思うので、無理をせずに、条件が合うところで働いて欲しいと願っている。

結局、採用って縁だなと思っている。人事に関わると、みんなそろってよく言うセリフだと思うけれど、自分で採用活動をしてみると、つくづくこのセリフに集約される。最後はこのセリフにたどり着く。

なので、6回分をまとめると
○採用は、縁、相性、タイミングであり、基本的に採用側は慎重になっているので、採用されなくて普通だと思っていい。落ちても人格否定、実力不足だと思う必要はない。

新卒以外は勉強したいです!は、あまりよくない印象が。一方で、その分野の専門家でなくても全く問題なし。「学ぶ力」を持っている方がはるかに重要。

○冷静になって、そもそも自分が科学、研究、実験などを本当に好きか、見つめ直してほしい。本当に好きな仕事ならば、自他共に幸せ。

○採用は試験ではなくマッチングなので、待遇に不満があるのに無理をして働いても続かない。面接で無理すると、後々本当に苦しくなる。


だろうか。こうやって言葉にすると、あまり大したことを言っていないかもしれない(期待して読んだ人、すみません・・・)。でも、まあ、当たり前のことかもしれないけれど、自分の雇用がかかっていると冷静になれないことも多いので。

ということで、6回にわたってポスドクやテクスタの採用方針について記載しました。次回から少し追記を書きます。

2018年9月20日木曜日

衆議院議員会館に行ったら言われたこと。

Twitterでの
なんか若手研究者の支援拡充ばかり流れてくるが、40代前半くらいの研究者も支援する制度を作って欲しい。自分よりちょい上の世代が一番きつかった世代だと思う。
のツイートが伸びているので、責任を取って関連?記事を書きます。

自分(38歳)の世代も氷河期なので、まあ世代としてはずっと不景気。それでも、少し氷河期が終わりには近づいてきたところだと思う。今の40〜45歳くらいが一番氷河期なんじゃないかなと思っている(年齢の範囲に厳密さはありません)。

なので、その世代を支援してほしいと思うけれど、もちろん若手だって、自分の世代だって、さらにもっと上の世代だって支援は必要だと思う。バランスの良い配分は大事だと思うけれど、くれくれ言っていても話は進まないと思う。

なので、科研費などの既存の研究費に応募するだけでなく、いろんな活動を始めている。1つには企業との共同研究である。現在、環境バイオテクノロジー研究室は、2社と直接的に共同研究を行っている。

他にも枠組みを作りたいと思っている。でも、やっぱり若輩者にはまだまだ難しい。いや、そんなことを言っていても言い訳がましい。ささやかでも何かはしたい。

ということで、(詳細は書けないのだけれど)今年、去年と衆議院議員会館でセミナーを行った。いや、こんな偉くもない人間にそんな機会を与えていただいて、本当に感謝である。そして、セミナーをしてきた。

衆議院議員会館(Wikiより)


とはいえ・・・・こういうセミナーもやってはみたのだが、それで「はい、国から予算を!」なんてなるはずない。やっぱり難しい。そこからスピンオフで進んだことはあるのだけれど、予算要求とはならない(いや、そもそも、そんなにダイレクトに予算要求をお願いしに行ったわけでもないのだけれど)。

こうした活動が身を結ぶにはまだまだ遠いのだけれど、では、セミナーをやった感触として、何が足りなかっただろうか。何が足りないと言われたのだろうか。

政治家とのコネクションが足りないと言われた?

選挙活動に参加してないとか言われた?

特定の政党を応援していないと言われた?

全部外れである。

言われたことは、

「しっかりしたデータをお願いします。データが大事です!」

データが大事・・・・

まさかの一言である研究者としてデータが足りないなんて言われるとは・・・。しかし、それが先方の意見である。至極まっとうなご意見である。頭が上がらない。

ただし、この時の「しっかりしたデータ」というのは、「応用展開・実用化へのデータ」という意味なので、メカニズムのデータが足りないとか、n数が足りないとか、照明が足りないとかいう意味ではない。

やはり短期的に実用化できるデータではないと、きついというのが印象だった。まあ、当たり前か・・・・。

ということで、こんな風にいろいろと種を蒔きながら、研究を続けている。予算をくれくれだけ言うのはよろしくないので、全体のパイが大きくなるようにささやかながら活動はしている。とはいえ、身を結ぶのは易しいことではないので、偉そうには言えないが・・・

でもまあ、研究者ではなくても、データが大事と思っている。それがわかったのだから、やはり研究者の本分である素晴らしいデータを出さねばならないという決意を固くすることはできた。なかなか進まないのが研究ではあるけれど、実用化を夢見て邁進していきたいと思っている。もちろん、基礎メカニズムも理解したいけれど。やることがいっぱいである。。

ポスドクやテクスタの採用方針について No.5

ポスドクやテクスタの採用方針について No.5。

書類選考についての続き。

基本的には仕事としてしっかり働いてくれる人をセレクトするのが書類選考。当たり前といえば当たり前。

他に見るのがどこかと言えば、


仕事(科学、研究、実験)が好きかどうか


だろうか。次回募集をかけるとしたら、今までよりもこの基準を重要視すると思う。

こんなことを言うと、「何言ってんだ!好きに決まっているだろ!」と条件反射で言い返す人も多い。

研究職ではなくても、「研究・科学が好きです」、「実験大好き」という人はたくさんいる。

なので、この業界の人ならば、ほとんどの人が仕事を好きだと言うと思う。志望動機を書くとなればなおさらのことで、例外なく研究や科学、実験が好きですと言ってくる。

でも、どうか冷静になってほしいというのが、私の意見である。本当に冷静になって自分を見つめ直してほしいと思っている。

実際にいろいろと出会った研究職の人でも、「この人って、研究・科学・実験のどの部分が好きなんだろうか?」と首を傾げたくなる人は、意外に多い。もちろんその人の心の中の問題なので、本当のことはわからない。でも、全然好きそうに見えない、この仕事をしていて楽しそうに見えない人は結構いる。研究なんてそんなにすぐには進まないし、仕事としてしまうと苦しいのはわかる。自分もそうであるし。

それでも、どう考えても、自分の進んだ道を正当化して、好きだと自分に言い聞かせているだけにしか見えない場合もあるような気がしている。大学の研究室で実験という仕事なので、なんとなくこれまでの延長でこの仕事を選んでしまう人も多いように思える。選んでしまったので、自分の道を必死に肯定しているように見える。

ようするに、新入社員が就職したての頃に「うちの会社が一番!最高!」と言っているのに近い。そのうち魔法は解けるけれど。

別に仕事が好きでなくても良いのだけれど、お金のためだけだったら、モチベーションもあまり高くない。正確に言うと、持続しない。その仕事が好きな人は、自然と勉強したり、新しいことを学ぼうとする。そして、そういう姿勢は周りにも良い影響を与える。

本当に好きでないと、アカデミアは待遇も良くないし、だんだん苦しくなってくる。そして、長期的にはあまり成果も上がらないし、周りにも良い影響を与えない。どんどん苦しくなっていく。

大学での研究の仕事なんて、極めて特殊な仕事だし、べつに好きでなくても問題ないと思う。みんながみんな科学や研究を好きでなければいけない理由もない。

なので、今一度、自分は本当に研究の仕事(科学の仕事、実験の仕事)が好きなのか?を自問して欲しいと思っている。


実を言うと、自分も純粋な基礎生物学者であるとは思っていない。生き物の仕組みはとても素晴らしく感心させられるが、メカニズム解明だけで終わらせたくないのが、自分の好みである。

生き物のメカニズムを解明しつつ、それをどうやって社会の役に立つ技術に使えるか、さらにビジネスに発展させられるかを常に考えている。そこまで考えた上で、自分は自分の仕事をすごく気に入っている。分子生物学で1つの遺伝子に一生をかけるようなやり方だったら、自分はこの仕事を好きにはなれない人間である。


もちろん、好みの問題であり、どれが正しくてどれが正しくないなんてことは全然ないと思う。好みがそれぞれだなんて当たり前のことなのだけれど、なぜか応用展開が好きと宣言すると、攻撃してくる人がいるが・・・。

それはともかく、自分はじっくり考えた上で、上記のような位置づけならば、研究という仕事が大好きであるという結論に達した。そして、今に至る。

また、研究や科学ではなく、実験そのものが好きでもいいと思う。うちのテクスタであるSさんは企業からの転職組である。いろんなことをやってもらっているけれど、分析の仕事を任せたら、機械の調子が悪く、うまく分析ができないような時でも、嬉々としてHPLCを分解して修理している(笑)

ちなみに、これまでにHPLCを扱った経験はない。でも、自分でどんどん調べて、総じて楽しそうに仕事をしている(もちろん、仕事なので基本は大変であることは言うまでもない)。ああ、テクスタに向いているな・・としみじみ思う。

ということで、好きこそものの上手なれであり、仕事内容を楽しめそうかどうかが、選考でとても大事であるという結論に至った。いろんな人を雇用した経験から得た選考基準あり、(すごく偉そうだけれど)何よりも応募者のためだと考えている。

でも、こちらから見抜くのは難しく、書類でも面接でもよくわからない。どうすれば本当に好きかどうかを見抜けるかは、次の採用の機会までに考えたいと思っている(いや、無理かもしれないが。。。)。

No. 6に続く。

2018年9月19日水曜日

ポスドクやテクスタの採用方針について No.4

ポスドクやテクスタの採用方針について。No.4。

ポスドクやテクスタの応募時についての話。

自分の場合は、募集をかける時には、履歴書や志望動機などを提出してもらう。履歴書はもちろんフォーマット自由。フォーマット調整なんかして無駄な労力を使うことは、意味ないと思っているので(ただし、本採用時には大学フォーマットの履歴書を作らなければいけないと思う)。

志望動機とかこれまでの経験とかもA4で1、2ページくらいだろうか。

うちのポスドクやテクスタの募集は、メールで提出。これも面倒なこと、無駄なことはしたくないのでそうしている。さらに、断るならば早く返事をする」が原則であると思っている(そして、前のブログでも書いたが、採用しない方がデフォルトと言ってもいいくらい採用には慎重になっている)。

ということで、自分の場合だが、フォーマットのこととか、何を書いたらよいかとか形式的なことは一切点数に入っていない。

それで、ではどういう書類だと即採用を断るかというと、「学生として入学するかのような書類」である。

これも採用側の人がよく言っていると思うが、「勉強させてください!」、「これから勉強します!」みたいな書類は結構来る。謙虚にやる気をアピールしているのはわかるのだけれど、採用側に立つと「なんで給与を支払って、勉強させてあげなきゃいけないの!?」と思う。これは、採用側の人がよく言うセリフの一つだと思う。

勉強させてくださいが通用するのは、学士・修士の新卒採用の時だけだと思う。それ以外は、「そんなにやる気ならば、勉強してからきてほしい」が本音である。

とはいえ、じゃあ専門家しか雇わないのか?といえばそんなことはない。うちで雇用している人は、微細藻類なんて扱ったことがない、液クロ・ガスクロを触ったことがないという人の方が多い。上のように思いつつも、結局は働きながら仕事を覚えている。

書類選考では、給料をもらえる学生の気分で来てしまう人を断るのが目的であり、そこまで高度なことを要求しているわけではない。出勤時間を守って、研究を仕事として真面目に働いてくれればよいと考えている

何を当たり前なことをと思うかもしれないが、実はアカデミックには出勤時間すら守れない人がそれなりに参入してくる。例えば9時出勤という雇用契約なのに、9時に来れない人が実は少なくない。びっくりである。でも、これができない人が、少なくないのである・・・。

もちろん、念のため書いておくが、雇用契約が裁量労働制ならば全く問題ない。めっちゃ働いている人の方が多い。
みんながきちんと働いてくれるのならば、研究なんて裁量労働制で良いと思うのだけれど。残念ながら裁量労働制を悪用して全然働かない一部の人がいるので、他の人が割りを食ってしまう。残念なことである。

ともかく、大学で研究室に出勤するとは言え、普通に社会人として仕事をしてくれる人を見抜くのが、書類選考時の仕事である。全然要求は高くないと思うのだけれど、だれでもできるかといえば全然そんなことはない。まずは仕事として責任を持って働いてくれる人を見抜くのが第一段階である。

No. 5に続く。

2018年9月18日火曜日

ポスドクやテクスタの採用方針について No.3

ポスドクやテクスタの採用方針についてのNo.3。

ここでは一般論を述べてみたいと思う。いうまでもなく一般論と言ったって、すべての人に当てはなるはずはないので、ご留意を。

採用される側から採用する側になって、何が変わったかと言えば、立場が選手から監督になったことだと思う。寂しい限りだけれど、実験なんて自分ではほとんどできない(株の植え継ぎなどの雑用だけはしている。。)。

選手と監督で何が一番違うかと言えば、選手の時は個人の実力や成果を気にするが、監督の時はチーム全体の実力や成果を気にすることだと思う。

自分が大学院生やポスドクの頃(いわゆる選手の頃)は、当然いいジャーナルにたくさん論文を書きたかった(もちろん、今もそれが変わっているわけではないが)。がむしゃらに研究をしたものである。

一方、PIの今は、個々の力を伸ばして実績を積ませるのはもちろんだが、チーム全体の成果が最大化するように考えなければならない。

例えば、どんなに優秀な人でも、行動が乱暴だったり、あまりにも性格が暗かったり、共通な仕事をしなかったりすると、周りの人の成果がでなくなる。そうすると、その人がどんなに優秀であったとしても、チーム全体としては成果がでなくなる

このもっとも良い例が、日韓W杯の時に、フィリップ・トルシエ監督が中村俊輔選手を日本代表から外したことかもしれない。

中村選手が代表から外された理由は、「彼(中村選手)がいると、チームが暗くなる」というものだったと思う(多分・・)。誰もが認める日本でもっともサッカーのうまい選手が、代表から外された出来事だった。

自分は昔横浜マリノスが好きだったし、中村選手が好きなので、当然おかしいと思ったが、今ではトルシエ監督の気持ちがとても理解できる。

サッカーに限らず、「その人がいることによって、周りの人の気分が暗くなる人」は、周りの人の仕事にマイナスの影響を与える。すごくマイナスである。

なので、業績や技術を考える以前に、暗い人、ネガティブな人、ずるい人などは採用しないようにしている。正直、面接ではよくわからないのだが。たとえ本人一人がすごくパフォーマスを発揮しても、周りの10人のパフォーマンスが落ちるようでは真の意味で優秀とは言えないと思う。

これは自分に限らず、研究に限らず、一般的にどんな集団の採用でもそうだと思う。

明るく健康なことって、それだけで立派な能力の1つだと思う。

No. 4につづく。

2018年9月17日月曜日

ポスドクやテクスタの採用方針について No.2

ポスドクやテクスタの採用方針について。No. 2。


(どうでもいいことだが、No.と数字の間には半角スペースを入れるのが正しいが、タイトルには半角スペースを入れていない。でもすごく気持ち悪い。。職業病・・)

さて、ポスドク、テスクタの方々に働いてもらっているが、採用・雇用という仕事はとても重い

言い過ぎかもしれないが、採用がうまくいくかによって、その人の人生が大きく左右されることもある。うまく職場が合えば仕事もはかどり、スキルアップもして、給料も上がり貯金もできるかもしれない。

一方で、合わない職場ならば、成果も上がらず、当然気分が暗くなるし、雇用の継続や給与が厳しくなってくる。

雇用する側だって、仕事がうまくいってもらわなければ困るし、仕事がうまくいって明るい顔していれば気分も良い。反対に、仕事がうまくいかなければ全体の成果が滞り、次の予算の獲得が難しくなる。当然、雇用は不安定になるし、職場の雰囲気は良いはずがない。

このようなことから、人を一人採用するというのはとても重い。

なので、ポスドクでもテクスタでも採用にはかなり慎重になる。なかなか採用されない方が普通とも言えるかもしれない。

どんな公募であれ、不採択になると気分が悪いが、採用されない方が普通であるという考え方をすれば、諦めずにチャレンジする気になるかもしれない。いや、ほんと思うのだけれど、軽々しく人を雇うなんてできない。

採用方針についての連載だけれど、採用・雇用は重いので慎重になっているという前提を知っておくと良いと思う。なので、落ちたからといって人格否定されたとか、実力不足と思われたと考える必要は全くないと思っている。

No. 3に続く。

2018年9月16日日曜日

ポスドクやテクスタの採用方針について No.1

ありがたいことに、うちの研究室にはポスドクやテクスタがいる。

ポスドクとは、ポストドクターの略で、日本語では博士研究員になる。文字通り、博士号(Ph.D)を持っていなければならない。

テクスタとは、テクニカルスタッフの略で、日本語では技術員、補助員となる。その範囲は研究機関などにより、専門学校卒から学部卒、修士課程修了、場合によってはPh.Dもテクニカルスタッフとなる。

理化学研究所時代にさきがけの予算を獲得したり、チームのテクニカルスタッフに手伝ってもらって以来、テクニカルスタッフに研究を進めてもらっている。また、明治大学に赴任してからはポスドクも雇用している。

ポスドクやテクスタの方々に働いてもらっているが、やはり職場には合う合わないがある。どんなに優秀でも合わなければ力を発揮できないと思う。そして、表向きはいいことを言っていても、研究室に入ってみたら思っていたのと違ったということはたくさんあるだろう。

あくまで自分の個人的な意見であるが、これまでいろんな方々を採用してきて、現時点でどういう人を採用してみたいか、一緒に働きたいと思うかを紹介してみたいと思う。

長くなるので、連載的になるかもしれない。。

No.2に続く。

2018年9月15日土曜日

実は今、研究室のターニングポイント No.4

実は今、研究室のターニングポイント No.4。
いつのまにかNo.4になってしまった・・・

さて今年は研究室発足4年目。3期生が4年生、4期生が3年生となっている(ややこしい。。)。4つの学年の学生が、環境バイオテクノロジー研究室に配属されたことになる。

今年度は比較的よく研究室が廻っていると思う。自分で使った器具は自分で洗う、掃除当番をさぼらないなどはまあ比較的うまくいっていると思う(ただし、先生の目に届かないだけの可能性はあるので、注意は必要だが)。

研究室としてのシステムが出来上がってきたのだが、さて何を悩んでいるかというと自分自身の目標についてである。

この悩みを語るために、いつの間にか研究室の流れを書いてしまったが。。

明治大学赴任前は理化学研究所にいた。27歳で博士号を取って以来、東京大学、理研で研究をしていた。いずれのポストも任期付きであった。

なので、まずはがむしゃらに研究をしていた。パーマネントポジション獲得!というよりも、とにかく研究を進める!という一心で、時間が空けば論文を書いていた。応用志向なので、論文だけでなく、特許出願もがんがんすすめた。本当にがむしゃらだったと思う。

35歳で明治大学に着任し、今も研究は必死に頑張っている。ただ、研究といってもどちらかというとサポート役だろう。研究できるシステムを整える仕事と言っていいと思う(論文は書くけど)。さらに、教育はもちろんのこと、大学業務もある。仕事が多様になってきた。

研究室のテーマも多様化してきた。研究といっても内部だけでなく、学外の方々との研究関連の仕事もある。ビジネス関連の仕事もある。基礎研究者が論文のことだけ考えているのは、はるか昔の話である。

教育も講義や実習だけでなく外部向けのイベントなんかもいろいろ。これらにさらに進路の相談関連のことからその他の大学業務、人間関係についてのことなど、色々と考えることがある。びっくりするくらいいろんな仕事がある。

そうすると、1つ1つの仕事が30分間区切りくらいになり、日々10〜20種類くらいの仕事をこなすという感じになってきた。

30分間区切りと明確になっていればまだましだが、集中したと思ったら別の仕事が入り、終わったと思ったら次の仕事が急に入り・・・という繰り返しである。

こうした中で、モチベーションを保っていくのは至難の技であると感じている。さらに、自分の将来を考えてしまうと、パーマネントポジションであり、生活には困らないくらいの給料はもらえるようになった(それほど豊かではないが・・)。

このような中で、自分の目標をどこに設定すべきかが、とても難しくなっている。

研究室でも学生には、「行動が自由な中で判断力を磨いていくことが大事」と口を酸っぱくして言っている。研究室に配属されると、それまでの講義や実習をうけるカリキュラムと違って、自分で自由に行動できる。この自由こそが難しく、目標設定を自分でしなければならない。目標設定を誤るとせっかくの努力があまり実を結ばない。研究室で訓練すべきことであると伝えている。

PIになった現在は、自由がさらに広がっている。とても幸せなことなのだけれど、自由であるということはとても難しいと、いまさらながら痛切に感じている。

研究室では、ポスドクのIさんと話している頻度が一番高いが、何をしているかといえば、この自由すぎる状況の中で、研究室の方向性を決めていくことである。既存のテーマの方向性の決定だけならばましだが、新しいテーマの種も常に播いていかなければならない。遊んでいるようにしか見えないところにこそ、新しい種が転がっていたりする(芽がでないことの方が多いが)。

さらに研究室の予算や労力の配分を考えなければならない。同じ実験機器を使う人が多過ぎれば効率は落ちる。人間関係の相性もある。そういったことまで総合的に議論しながら、研究室の”システムの最適化”を考えている。

この最適化について、これまでは自分の研究効率を最適化することだけを考えてきた。しかし、これを拡張し、自分やスタッフの働き方の最適化(もっと楽しく、無理なく働けるなど)や、学生の進路に向けた最適化(自分の希望する職や待遇を得られる確率を上げる)なども考えなければならない。

3人、4人だったら簡単だが、20人を超える研究室だとそうはいかない。ある人に特化して最適化したら、別の人には不利益を与えてしまう可能性もある。これらの可能性を考え、検証しながら、システムを作っていく必要がある。カオス状態である。。

なんかやたら長くなってしまったが、がむしゃらに研究成果を挙げよう!という時代は、ある意味では楽だったのかもしれない。若かったなと自分でも思う。30代も終わりに近づき、自分の仕事の内容が大きく変わっていることを強く実感する。

研究室が発足して3年半。新しいフェーズに入っていく環境バイオテクノロジー研究室がどのように変わっていくか、日々悩みながら、しかし良い方向に変えていきたいと考えている。長々と書いてきて、自分でもよくわからなくなってきたが、要するに、分のためにも、全体のためにも、もっと仕事を楽しくしなければならないと考えている。そうしないといつしかモチベーションが下がり研究をしなくなってしまうのではないかという危機感を抱いている。

今はどんなフェーズかというと、これからまだまだ長く研究をして成果を挙げていくために、研究室の持続的なシステムを構築する時ではないかと考えている。



2018年9月14日金曜日

実は今、研究室のターニングポイント No.3

実は今、研究室のターニングポイント No.3。

研究室が順調に立ち上がり、忙しいものの論文をたくさん出せる体制ができた。

しかし、人数が増えるとともに歪みが生まれてきた。


2期生として10人が配属された。この年は、ちょうど退官される先生が2名もおり、一学年の研究室配属人数が多かった。

また、自分も2年目に入り、新しい実習を立ち上げたり、新しい講義をさらに作ったりとなかなか激しい忙しさであった。このような状況で、段々と研究室に問題も起こるようになってきた。

研究室でよく起こるトラブルといえば何かというと、共通の仕事をサボることによるいさかいである。研究をするにはさまざまな準備が必須である。共通の機器は予約しなければいけないし、使い方を間違えれば壊れる。試薬は勝手には補充されない。掃除やゴミ捨てをしなければゴミがたまり、溢れる。

当たり前だが誰かがやってくれるわけではない。自分たちでやらなければいけないが、だれかがズルをすると、正常にシステムを動かすためには、だれかがその人の分までやらなければならない。

1期生のみで人数が少ないときは、誰かがさぼっても少しの労力でカバーできた。実際にはすでにそういう状態だったのだが、問題は顕在化しなかった

ところが人数が増えてくると、誰かの頑張りではカバーしきれなくなってくる。こういう状況が研究室に表れ始めてしまった。

そして悪いことに、こういうサボりが教員の目と耳にはなかなか届かない。後になって聞くと、実は掃除当番なのに全然来なかった、共通の物品を全然頼んでいかなったなど、不平等がかなり発生していたことがわかった。教員として今も後悔しているが、システム・組織を作るものとして本当に不覚だった。

発足後すぐに論文もバンバン出て、CRESTが終わると次には新学術領域の分担にも入れていただいた。特許も多数出願に至った。こういう良い方の成果によって研究室がうまくいっていると思い込んでいた。しかし、実際には問題が蓄積していたのである。

昨年度(2017年度)が発足から3年目であるが、研究室の問題が表面化した年だと言える。実は問題がたくさんあったのだと、認識することになった。いきおいだけでは立ちいかなくなったことが明らかになったのである。

サボった人たちが悪い!と言いたいのかというと、実はそれは違う。研究室のルールがしっかりと決まっていなかったことが要因である。ルールがしっかりとしていないと、みんなどうすればいいかわからない。わからないから、「まあ、いいか」となって共通の仕事をやらなくなる。上の先生方にいろいろ聞いてみた結果、明らかになっきたことは、

ルールが決まっていれば、学生たちはきちんとやってくれる。ルールがなければ、ルールを作るところからやらなければならない。それはハードルが高すぎる。

返す言葉もない・・・その通りだと思う。

ということで、今年度に入るにあたり、「共通の仕事の平等化」、「発注のシステムの見直し」、「掃除当番の厳密化」などを行い、だいぶ平和にはなってきた(と思う)。組織・システムづくりの難しさを思い知った過去3年間であった。研究室運営と研究能力は全然別物であることを、身を以て知らされたのである。

No.4に続く。


2018年9月13日木曜日

実は今、研究室のターニングポイント No.2

実は今、研究室のターニングポイント No.2。

2015年に発足した環境バイオテクノロジー研究室。本当に忙しかったけれど、意外とすんなり研究に入っていった(いや、つらさを忘れただけの気もする・・・)。

勢いがあったので、とにかく攻撃的に。1期生の基礎実習が始まったが、とにかく論文の世界に放り込み、高いレベルに到達してもらおうと考えた。

人選に深い意味はなかったが、ある意味では運命だったような気もする。AさんとTくんに基礎実習の少し続きをお願いし、論文クオリティのデータを取ってもらった。再現性をひたすら要求し、最後は自分たちでn=10くらいでデータを取っていたと思う。

そして、その論文に、理研のテクスタKさんと合わせ、1期生Aさん、Tくんにも筆頭著者になってもらった。同等貢献とはいえ、3年生にしていきなり筆頭著者論文である。Frontiers in Microbiologyというオープンアクセス誌で、I.F.も3~4くらいある雑誌なので、悪くない。

さらに自分で少しだけ実験もして特許にもなった。理研時代の残りの仕事やポスドクIさんの論文も形になっていき、論文を量産する体制に入っていった。

2015~2018年9月で、出版した論文が15報、著書(Nature/Springerの本)2報である(たぶん・・・数え間違えているかもしれない・・・)

この数には、共著論文は含まれていない。自分が筆頭著者か責任著者になった論文&著書である。

そんなこんなで勢いはあるのだが、人数が増えるに従って、だんだんと歪みが生まれていく。

No. 3に続く。

2018年9月12日水曜日

実は今、研究室のターニングポイント No.1

環境バイオテクノロジー研究室が発足して、3年半となった。



これまでは農芸化学科にできた新しい研究室です!と言っていたが、だんだんそうも言えなくなってきた。

環境バイオテクノロジー研究室も第2期に移行しようとしている。

実は今、周りの人からは想像もできないくらいに悩んでいる。ブログで書くとまとまる気がするので、書いてみる。それをいきなり公開するのはどうかと思うが、まあ、いいかという気分である。

研究室が発足して、ポスドク1名、テクスタ1名とともに明治大学に移籍してきた。そして1期生7名(当時学部3年生)が配属された。2015年4月のことである。その1期生が今は博士前期課程(修士課程)2年生である。

最初は研究室の立ち上げで、とにかくなんでも新しいし、嬉しい。楽しいことばかりではないが、すべてが新鮮でとにかく勢いがあった。研究室立ち上げの独特の雰囲気である。

研究室立ち上げというと、お金も物もなく苦しい状況を想像していたが、はっきり言って違っていた。現在も続いているがJST-ALCAの代表、そして、CRESTの分担の最終年度でもあった。また、過去にさきがけやその他の予算を取っていたのでインキュベーターやHPLC、ガスクロから走査型プローブ顕微鏡まで立ち上げから揃っていた。我ながらびっくりである。

さらに大きかったのが、理研時代に自分でインキュベーター作りや装置の配置などをすべて一度経験していたことである。理研時代に、半分独立のような形でスペースをもらい、立ち上げを経験していた。

自分でガラス管やチューブを切り、PISCOのコネクタでガスボンベにつないで・・・など、インキュベーターの立ち上げ方を知っていた。他にも装置の立ち上げも経験済みである。これもとても大きかった。

もちろん明大関係者のご尽力もあり、研究室はあっという間に立ち上がった。発足後3、4ヶ月後には問題なく研究が進められる体制になっていた。「あれ、なんかもう立ち上がっちゃった!?」という感じである。

新しい講義や実習の準備、事務関連などの覚えていくのはとても大変だった。それでも勢いというものはすごい。スタッフ&1期生が怒涛のごとく研究を進めてくれることになる。

No. 2に続く。

2018年9月10日月曜日

何歳までおごられるつもり?

少し前にもブラック企業について記事を書いたが、何歳になっても、「自分は苦しいから助けてもらう方だ」「おごる方ではなくおごってもらう方だ」という人は多い。



20代の学生からしたら信じられないかもしれないが、30歳になっても40歳になっても、さらにそれより上になっても、「自分は下っ端なので、助けて欲しい」という人は少なくない。謙虚で言っているわけではなく、誰かに助けて欲しいから、そして誰かを助けたくないから(助けなくても仕方ないから)、そのように言っていることが多い。

さらになぜか、苦しいから助けて欲しいという人に限って、自分のためにはお金を惜しみなく使う。

海外旅行は欠かせない、毎週飲みに行くのも欠かせない、趣味にお金を使っています、でも生活は苦しいので助けて欲しい

という普通に考えれば信じられない思考だが、お金の前にはすべて自己正当化できてしまう。そんな社会人も結構いる。

ただし、周りの人は愚かではない。こういう人に協力したいという人が多いはずはない。そうすると、協力者が少なくなり、仕事が進まなくなってくる。

なので、上記のような自己利益追求型の人は、長期的にどんどん給与が下がって、本当に苦しくなる。社会人ならば、こういう人がどこの職場にもいて、だんだん苦しくなっていく例を少なからず見てきたかもしれない。

誰しもが若いうちは、社会人として活躍して、先輩として、上司として、気前よく下の人たちに振る舞いたいと思っている。しかし、いざお金を目の前にすると、自分のためにばかり使ってしまう。お金というものは、本当に魔物である。

お金は稼ぐ方法だけでなく、使う方法も学ばなければならない。自分もお金を稼ぐ能力の向上とともに、お金を使う能力の向上にも取り組んでいる。どういうのが「良いお金の使い方」であるか、日々試行錯誤している。

判断するのが仕事である。

今日のタイトル通り、私が研究室で何をしているかといえば、「判断するという仕事」をしている。決断をする仕事、決定をする仕事と言ってもよい。

研究でAさんのデータを見て、次に何をするべきかを相談する。そして、次に何をするかを判断する。データが溜まってきたら、論文にするべきか、それならばどのジャーナルにどのくらいの時期に投稿するかを判断する。

講義で何の内容を教えるべき、どの内容を削るべきかを判断する。

研究費の使い道なんかで大きな買い物をするときには、特に判断が必要になる。何かを買うということは、別の何かを買えなくなることを意味するからである。

お金だけでなく、時間や労力も同様で、何かに時間や労力を費やせば、別の何かには費やせないのである。

この判断を間違えると、せっかく頑張っているのに成果が挙がらない。なので、この判断を間違えないようにするのが仕事である。

ただし、その判断が正解かどうかは、しばらく経ってみないとわからない。しばらく経ってもわからないこともある。そんな曖昧中で判断していくのが仕事である。

学生には、研究室にいる間にこの判断力を身につけてもらうことになっている

自分で判断するのが仕事になっていくので、

✖️「次にどうしたらいいですか?」
○「次にAという実験をやろうと思っているのですが、どうでしょうか?」

など、判断を委ねるのではなく、自分で判断してから議論する習慣を身につけてほしいと考えている。

たまに真面目すぎる子で、先生の言うことを守るのに慣れ過ぎてしまっている子がいる。日本の教育の問題でもあると思うが、大学生・大学院生のうちにこれを打破して、自分で判断できる人間になってほしいと思っている。



2018年9月9日日曜日

高分子討論会中止!

今週は、北海道大学で行われる高分子討論会で発表する予定だった。

高分子討論会は、高分子学会の研究会である。年会は(おそらく)別に開催されていて、あくまでもメインの年会ではない研究会であるが、3日間も開催されるということで、規模の大きい会である。

しかし、北海道の地震の影響で、中止になった。学会のホームページもアクセスできない状況が続いたが、9/7の夜になって、ホームページ上で中止が発表された。
http://main.spsj.or.jp/tohron/67tohron/index.html


さすがにまあ学会は無理だと思う。

設備の損傷もさることながら、多くの人が押し寄せれば、水や電気、食べ物を消費してしまうことになる。さすがに現地の人に迷惑になることだろう。迅速で賢明な判断だったと思う。

それにしても、今年は災害での学会の中止が類を見ないくらい多い。こんな年はちょっと記憶にない。

安全を確保した上での学問なので、安全最優先で、また別の機会にゆっくり研究の話をしたい。


2018年9月8日土曜日

災害列島日本。今年はどうしたものか。

今年の災害はなかなか甚大である。

今度は札幌で地震とのことだ。震度6で、札幌の方でこんな大きな地震があるのは、比較的珍しいことらしい。

それにしても西日本の大規模水害があり、今週は関西で猛烈な台風があって関空が復旧できていないという状況だ。ちょうど、「札幌は台風がこない」なんて話をしていたところに、札幌に地震が襲った。それにしても日本という国は災害列島である。

日頃から備えておきたいと思うのだけれど、いそがしい日々でついついおろそかになってしまう。過剰に恐れたら何もできないが、常に備えをしておかなければならない。とはいえ、できることは限られているだが。

1. 災害時の行動の確認
2. 避難所の場所の確認と避難手段の確保
3. 非常食や非常時に携帯する物品の確保
4. 室内の耐震化

などだろうか。
研究室を運営するものとして、自宅だけではなく、大学の研究室も考えなければならない。夏の間にいろいろやっておかなければと思う。

それにしても、関西の台風の映像をみると、自然の恐ろしさの前には、人間って無力だなと儚さを感じる。災害を甘く見ないようにだけはしたい。

2018年9月7日金曜日

生化学最強のデータベースBRENDA No.2

前回の生化学最強のデータベースBRENDA No.1の続き。

酵素のデータベースであるBRENDAの紹介である。

Phosphoenolpyruvate carboxylase (PEPC)という酵素をBRENDAで調べている。Googleで「phosphoenolpyruvate carboxylase BRENDA」と入力して検索すれば良い。EC番号が合っているかは注意が必要である。

前回は阻害剤(inhibitor)や活性化剤(activator)などが調べられると言ったが、他にもいろいろ調べられる。

例えば酵素の至適温度や至適pHも調べられる。至適温度・pHとは、酵素の活性がもっとも高い温度・pHのことである。


こんな風に、例えばThiobacillusという硫黄を好むバクテリア(全然私も知らない・・・)では、至適pHが5.3であることがわかる。

一方、植物のシロイヌナズナ(Arabidopsis thaliana)では、pH8~9が至適pHであることがわかる。




至適温度を調べると、例えばSulfolobusという超好熱性の古細菌では、なんと至適温度が90℃である!なんだそれ・・・そして、古細菌まで調べるのは、分野外の研究者にはかなりの苦労だろう。

こういうものがBRENDAでは一気に調べることができる。

これまで講義でも紹介してこなかったが、今後は講義にいれようかなと思っている次第である。

データベースは使ってみないと良し悪しがわからないが、このBRENDAは、酵素の生化学を専門とする人にはとてもおすすめである。

2018年9月6日木曜日

生化学最強のデータベースBRENDA No.1

データベースって多すぎでどれを使ったら良いかわからない。

実験生物学を行うものとしての率直な感想である。いろんなデータベースがあり、ウェブ上で公開されているが、いざ使ってみると「あれ、なんか間違いばかりだ・・・」、「全然中身が合っていない」、「使いにくい・・・」などがある。自分にあったデータベースを見つけるのが大事である。

大学の講義なんかでは、神データベースとしてKEGGを紹介しているが、他にもいろんなデータベースがある。

これまで全然使っていなかったのだけれど、酵素関連のデータベースだと、BRENDAというものがすごく良い。自分も最近知った・・・

1987年からあるらしい由緒正しきデータベースであるようだ(おどろきだ・・・)。ドイツのグループが作っているらしい。もちろん日本語対応はないが、英語では使える。



ホーム画面がこんな感じ。

ただし、最近はGoogleなどが優秀なので、ホーム画面に行く必要もない。

「自分の調べたい酵素とBRENDA」をクエリとしてgoogleなどで入力して検索すればよい。

例えばホスホエノールピルビン酸カルボキシラーゼ phosphoenolpyruvate carboxylaseを検索してみるとする。
googleで「BRENDA phosphoenolpyruvate carboxylase」と検索すると

こんな感じで検索結果が出てくる。

一番上のサイトに飛ぶと、
こんな感じで目的の酵素のページに行く。自分の調べたい酵素であるかどうかは、EC番号が合っているかを必ず確認する。

下の方にはこんな画面もある。
このデータベースの何がすばらしいかというと、必要なcofactor, inhibitor(阻害剤), activator(活性化剤)の情報がまとめてあるところである。こういうのはいちいち文献を当たらなければいけなかったが、リストになっている。
例えば、上の表だと、Thermosynechococcusという好熱性シアノバクテリアで、α-ケトグルタル酸がこの酵素の阻害剤であることがわかる。

分野外の研究者が好熱性シアノバクテリアの文献を探すというのはかなりハードルが高い。


Activatorの方を見ると、トウモロコシ(Zea mays)のPEPCは、glycerolで活性が促進するなどが載っている。その下には大腸菌も載っている。

シアノバクテリアからトウモロコシ、大腸菌などを網羅するのはかなりの労力だろう。

このデータベースでは、それらがリストになっているのでとても便利である。

長くなってきたのでNo. 2へ。

2018年9月5日水曜日

卒業生の訪問と教員の喜び

この間、1期生のKさんが研究室を訪ねてくれた。夏休み期間で研究室に寄ってくれたので、大学で話をした後、同期も含めて5人で呑みに行った。



こういうのが、大学の先生になった最大の喜びの一つである。

大学の前は、理化学研究所にいた。ちょうど事業仕分けや捏造騒動などがあり、タイミングも悪かったかもしれないが、研究所や研究室の中はやはり余裕がなかった。働いている人たちは、自分も含めほぼ全員が任期制だった。来年のことを考えながら常に仕事をしている。仲が悪かった訳では全然ないのだが、こういう状況だとどうしても余裕がなくなる。

また、仕事柄どうしても利害関係になってしまう。研究費やポストなど、どうしても争うこともでてきてしまうのである。

大学に異動して、「お金のことを考えなくていい関係」の学生と接することができて、「ああ、なんかほっとするな」と強く感じた。心が洗われる感じであった(「いや、お金のことは考えていなくても、単位のことは考えているのかもしれないが」)。



理化学研究所でたくさん研究をできて、それはとても素晴らしいことであった。でも、4、5年経った後に、

「このまま論文の本数とジャーナルのレベル、そして研究費の獲得競争に明け暮れてすごすのだろうか・・・」

と思うようになってきた。そのころちょうど子供も生まれたし、30代半ばに差し掛かるところだったので、そろそろ次の世代への教育に転換しないなというタイミングだった。

素晴らしくよいタイミングで、現在の明治大学農学部農芸化学科に採用していただいた。35歳で着任(だったと思う・・)なので、自分で考えていた理想の形でもあった。いやほんと、運がいい人間である。今でも何であんなにあっさり採用されたのかわからない。しばらくどっきりじゃないかと疑うほどだった(芸能人でもないので、どっきりなんか仕掛けられるわけはないのだけれど)。

話はそれたが、自分の研究室を持って学生が配属された。自分の研究室の学生ができた!という感動は、一生忘れないと思う。

ただし、学生として研究室に在籍している間は楽しいことばかりではないと思う。むしろ、研究の大変さにびっくりするだろうし、毎日顔を合わせていれば、いいことばかりではない。

それでも、卒業してこうやって訪ねてくれると、いい思い出ばかり蘇ってくる。「機械を壊した!試薬を間違えて作った!」なども、その当時は大変だっただろうが、時が経てば笑い話になって、飲み会でネタにしてみんなで楽しく話すことができる。

今後もどんどん卒業生が増えていくが、卒業生が訪ねてきてくれることは、教員にとって最高に嬉しいことである(いそがしくて邪険に扱ったらごめん。。)。卒業生も仕事で忙しいと思うが、とにかく健康と安全に気をつけてもらい、こちらはまた会う日を心待ちにしている。

2018年9月4日火曜日

いつのまにやらコーヒー党

味覚って本当に不思議である。

子供の頃は、コーヒーのブラックなんて飲む人の気が知れなかった。コーヒーといえば、明治のあま〜いコーヒー牛乳だった。運動の後には最高だった。

しかし、今やコーヒーを飲む場合は、ほぼブラック一択である。別に嫌いではないし、たまには写真のようなチャイティーラテなんかも飲んだりするけれど。
20代後半くらいから、少しずつ飲むようになっただろうか。ちょうどポスドクになって、研究室を移ってから飲んでいる記憶があるので、27、28歳くらいから少しずつ飲むようになった。

なぜか飲みたい気分になり、飲んだら、「あれ、苦いのだけれど、なんか美味しい・・・」となっていった。年齢が上がると苦いものが妙に美味しくなるのはなんでだろう。いまやピーマンなんて最高に美味しい食べ物である。

歳をとるのは悲しい気もするが、まあ、味覚の変化で大人になってから楽しめるものもでてくる。何事もポジティブにとらえて、楽しんで生きていきたいと思う。



2018年9月3日月曜日

初めての論文作成は、地獄の一丁目

おそろしいタイトルで始まる今日のブログだが、初めて論文を作成する時には、「地獄の一丁目に立った」と思うくらいで丁度良いと思っている。

地獄の一丁目とは、極めて恐ろしい場所、覚悟を決めなければいけない場所という意味である。そのまま、地獄の入り口という意味である。

よくよく考えれば、本来こんなことを言うのはおかしい。なざならば、研究で論文作成の開始とは、「データがたくさん得られなければ到達しない地点」だからである。データが不十分ならば実験をしただけで時間切れになって終わってしまう。

なので、本来、論文作成に入れることは、とても素晴らしいことである。

それなのになぜ最初の論文作成が地獄の一丁目かというと、理想と現実があまりにもかけ離れているからである。

論文作成に到達するくらいなので、自他共に認めるくらいには優秀である。当然、文章をそれなりには書けると考えている。話の構成なども自分でできると思っている。レポートなどで訓練も受けたはずであり、その時も良い点をとっていることが多い。

しかし、原著論文となると、これまでやってきたものとはレベルがけた違いなのである。

レポートだったら「学生が書いたもの」として採点されるが、論文では学生だろうが、教授だろうが関係ない。いきなり無差別級の世界に放り込まれるのである。

また、科学論文では作法、様式、ルールなどがある。これらを身につけないことには文章を作成することはできない。どんなにIQが合ってもこれらのルールを身につけなればいけないのである。

野球やサッカーなどの複雑なスポーツの場合、どんなに運動神経があっても、練習を繰り返して小慣れてこないと一流にはなれないのと似ている。

しかしながら、初めての論文作成では、これまでの自負と共に、「自分の論文はすごいジャーナルに載って、賞賛されるのではないか!?」という期待だけが膨らんでいってしまう。

また、リバイスというレビューアー(査読者)との戦いをしなければ論文は掲載されないのだが、「追加実験なしで通ってほしい!」という願望も捨てきれない。

こうした理想と現実の狭間で、ものすごく苦しむのが初めての論文作成である。だから、地獄の一丁目という表現をしている。

過去の自分もまさにそうで、大げさかもしれないが、初めての論文作成から採択まで(全部で2年くらいかかった!)が人生の底である。一本の論文ごときで何をと思うかもしれないが、それくらい辛い時期だった。

この記事で伝えたいことは、それくらい辛いのが普通であるので、焦る必要はないということである。そして、そんな苦しい状況を突破するには、毎日1つでいいから改善してそれをずっと続けることである。

こんな当たり前のことが、「早く論文を!」という焦る気持ちによってできなくなり、心身に影響するくらいまで辛くなってしまうことが往々にしてある。

この記事を読んでいる人でなかなか論文が通らない人もいるかもしれないが、周りの人の成果も「通ったところ」しかみれないので、簡単に進んでいるように見えてしまうだけで、実際にはみんな苦労しているのである。

うちの研究室でも、最初の1本がやはり大変である。でもそれをクリアすると、恐ろしいくらい実力が上がっていく。ぜひともこの地獄の一丁目をクリアしてほしいと思っている。

2018年9月2日日曜日

ひさしぶりのアクセス数発表

このところ、アクセス数の発表をしていなかったので久しぶりに。
2018年9月1日までの各ブログのアクセス数は以下の通り。

「環境バイオテクノロジー研究室の講義ファイルと研究アーカイブス」
https://environbiotechnology.blogspot.jp/
アクセス数 35,147

「明大の先生が朝の35分間でバイオ研究にVRを導入してみるブログ」
https://biovrmeiji.blogspot.jp/
アクセス数 2,415

「大学教員が綴る37.5℃の育児体験談」
https://ikuji99.blogspot.jp/
アクセス数 3,570

「小田急沿線グルメ〜駅から半径18km〜」
https://odakyugourmet.blogspot.jp/
アクセス数 3,334

総アクセス数 44,466でした!
ということで、4万アクセス突破です。前回は7月8日に集計して、だいたい35,000アクセスでした。

ということは、1ヶ月でざっくりと5,000アクセスという計算になる。7月は一番忙しかったので、VRブログとかを全然更新できなかった。9月下旬からまた忙しくなるけれど、どんどん発信していこうと思います!


2018年9月1日土曜日

防災の日に研究室の安全を考える。

本日は防災の日である。

1923年9月1日の関東大震災が起こったことからこの日が防災の日になったのはご存知の通りである。

大学教員なので、防災は人ごとではない。特に研究室は実験を行うので、安全面には特段の配慮が必要である。

うちの研究室は、危険な生物を扱ってもいないし、さほど危ない試薬を使っているわけでもない。それでも安全面には気をつけなければいけない。

研究室で多い事故としては、
1. ガラス器具での裂傷
2. やけど
3. 薬品による怪我

などだろうか。ガラス器具でもったいないといって欠けた状態で使おうとすると非常に危険である。火で丸めて使うか、思い切って捨ててしまうのがよい。怪我をしたら元も子もない。

薬品では特に安全メガネが必須である。

つい慣れてくると面倒でしなくなってしまうが、絶対にして欲しい。目は非常に弱いので。

他にも大型機械の耐震化などが需要である。それなりに耐震加工をしているが、こういう機会にチェックをしなければと思う。夏休みは、休みなのだけれど、本当にやることがいっぱいある。