2019年2月28日木曜日

新メンバー決定直前。

いよいよ明日、研究室の新メンバーが決定する。

来年度は、M2 2名、M1 1名が3名。B4が7名。比率としては、修士課程が全員男子。さらにB4は5名が男子で、2名が女子。スタッフは女性なのだが、だいぶ男性に偏っている。ついこの間まで女子が圧倒的に多い研究室だったのだが、その年によって変わる。

明日は基礎実習とともに歓迎会。とても楽しみにしている。

新メンバーは緊張しているかもしれないけれど、これから長く過ごす研究室なので、肩肘張らずリラックスして来て欲しい。

研究室は楽しいことばかりではなく、日々なかなかうまくいかない実験と向き合わなければいけないけれど、存分に研究できるように準備するので、ぜひ素晴らしい研究成果をあげてもらいたいと思っている。。

2019年2月27日水曜日

卒論発表会終了。

昨日は丸一日農芸化学科の卒論発表会。会場係をやっていたのだけれど、データの移行などでかなりバタバタしてしまった。。

それはさておき、発表は6分間とはいえ、4年生は結構緊張している人も多かった。今年は、先生たちからの質問もバシバシ飛んでいた。去年よりも厳しいツッコミが多かった気がする。予想と違って質疑応答が大変だったのではないだろうか。。でも、良い経験になったはず。

うちの研究室の発表でも思いの外厳しい質問で、ちょっとびっくりしたが頑張って答えていた。厳しい指摘にもまったく動じなかったかたやんはさすがな感じだった。。

卒論発表会の後は、恒例の懇親会。食堂に全研究室が集合するので、かなり圧巻の光景である。。

なぜか先生たちが歌を歌ったりすることになっているのだけれど、なぜだろう笑。。。今年もその疑問は解けないまま、とりあえず自分も歌を歌って終了した。この懇親会が終わると、年度が終わった感が強い。


また、懇親会では最初に修士論文の優秀発表賞の授賞式が行われた。我らが環境バイオテクノロジー研究室のM2 Tくんが修士論文の優秀発表賞を受賞し、メダルと賞状を授与された。おめでとうございます!

今年から修論発表に対して、優れた発表をした人に賞を送ろうということになり、栄えある第1回の賞に選ばれた。それにしても圧巻の修論発表だった。。

ということで、今年度の卒業に関するイベントは、卒業式を除いて終了。次は新メンバー決定の会があるのでいよいよ新年度の準備となる。こちらもすごく楽しみにしている。

2019年2月26日火曜日

農芸化学科卒論発表会!

本日は農芸化学科の卒論発表会である。。

昨日のブログでも紹介したけれど、一人の持ち時間は発表6分間、質疑応答2分間と短い。しかし、卒業研究の区切りとして重要なイベントである。

今年は昼休みに新任の瀬戸先生の特別公演もある。30分間とたっぷり瀬戸先生のお話を聴くことができるので、ぜひ参加してほしい。

そして、夜には懇親会がある。農芸化学科最大のイベントの1つである。。・・・・逃げだしたい・・・ブログを書いているが、こんな気分である。。

うん、もらったパンダは、これからもSNSに登場させよう。。。

何を言っているかよくわからないかもしれないが、要するに大イベントを控えて、浮き足立っているのである。。




2019年2月25日月曜日

卒論発表会&新メンバー決定の会

修論発表会が終わったのもつかの間、今週は卒論発表会、さらに研究室の新メンバー配属決定の会がある。


本学科では、卒論発表会は、単位の取得に必須にはなっていない。研究室によって内規などはあるかもしれないが、公式には必ずやらなければならないものではない。うちの研究室では、それぞれの考え方に任せているので、去年、今年と全員は発表していない。

大勢いるので、発表時間も6分間、質疑応答2分間と短くなっている。教室は3つに分かれて同時進行する。

卒論発表会後には、学科の懇親会が待っている。農芸化学科および農場、英語農学の全研究室が集合する。全部で何百人だろうか・・。農芸化学科を代表する大イベントの1つである。

この会では、先生はだいたい何かをやらなければならない・・。そう、毎年先生が歌を歌ったりする。いや、何百人を前にして歌を歌うって、すごいことなんだけど・・・なぜ歌を歌うんだろうという自問自答を繰り返しながら、結局毎年この日がやってくる。社会人とはこういうものだと教える機会なのかもしれない・・・ちなみに今年はネタ切れだということだけ宣言しておきます。。

新メンバー決定についてはまた後日ブログで。

年度の終わりにこういう重要なイベントが立て続けに入る。忙しいけれど、大学って本当に季節感がある。それにして、ああ・・・歌うのどうしよう・・・まあ、歌う前に酔っ払ってしまおう。。

2019年2月24日日曜日

新しい論文の催促方法?

昨日のツイートより。


「論文の審査に時間がかかって、問い合わせてをしても意味のないことが多い。しかし、「今月はそちらのジャーナルの論文査読を2つも受けているのだけれどね・・・」的なことを書いたら、進んだ。
新しい催促方法を編み出したかもしれない。ただの偶然かもしれないけれど。。」
https://twitter.com/osanai_meiji/status/1099282522062516224

最近、論文査読に時間がかかるようになってきた。

きちんとした投稿論文には、査読(Review, Peer-review)が付いている。査読とは、分野の近い研究者が論文を読み、改訂を要求し、その審査を通ると初めて論文として雑誌に掲載されることである。

こういうプロセスを経ないと、自分の勝手な仮説を載せてしまったり、商業的に有利なデータを載せてしまうことがある。査読をしたからといってすべて防げるはずはないのだけれど、重要な関門である。

査読はまず編集部でフォーマットをチェックされ、次に編集者(Editor)に渡る。Editorは、査読者(Reviewer)を選定して、論文を送る。複数のReviewerが論文審査し、それらの意見を聞いて最終的に判断するのがEditorである。

一昔前は、バイオの分野では、この論文査読の期間は1ヶ月が目処だった気がする。1ヶ月を過ぎると、そろそろ催促しようかなと思ったものだった。

しかし、最近は2ヶ月くらいにしたほうがいいかもしれない。

中国やインドなどの新興国の論文数が急増しており、Editor、Reviewerが足りないからである。これら査読の仕事はボランティア、ようするにタダである。。学会誌ならまだしも、なぜ商業誌に対してタダ働きなのか?という不満は研究者に蓄積していっているが、いずれにせよボランティアである。。

ということで、最近は手が回らなくなっている気がする。今年に入ってもう確か6個目の査読を受け取った。いや、ちょっとそろそろ断ろう。。

査読が遅い時に催促をしても、あまり意味のないことが多いのだけれど、編集部で放って置かれることもある。そんな場合には、上記の通り、「査読やってるのだけれど!?」という催促をしてみたら効果かもしれない。まだ1回試しただけなのだけれど、すぐに審査が進んだ。。

論文の査読の形はいろいろ変わっていくと思うけれど、その時その時のルールを知って、うまく対応しようと思う。

2019年2月23日土曜日

忙しさの峠は越えた!

修論発表会も終わり、来週は卒論発表会に新人メンバー決定。外勤などの予定もある。

そうは言っても、2月の忙しさのピークは越えた気がする。

卒論発表会も1回目の練習が終了した。論文でも発表でも作り上げるところまでが一番大変で、そのあとの修正はもちろん大事だけれど、修正をしていけばよいだけである。ということで、あとはみんなの意見を聞いて、調整をしていけばよいだけである。

今年の2月は風邪をひかなかったので、問題なく過ごせた。風邪をひいてしまうと、業務が溜まって一気に忙しくなる。睡眠と食事は絶対にかかさなかったので、体調は問題なかったのかもしれない。いや、そんなこと言ったって、体調を崩すときは崩すと思うが、今年は運良く風邪をひかなかった。


途中の中断がなかったので、比較的平和に過ごせた2月。それでも、初めての修士の学生を送り出すので、なかなか忙しかったけれど。そうこうしているうちに、あと1週間足らずで新メンバーがやってくる。時の流れは早い。新メンバーように準備をしておかなければ。。

2019年2月22日金曜日

追いコンはしょうが!

昨日は、少し早いけれど追いコン。3月になると卒業旅行や次の就職準備があるのでこの日になった。

追いコンは、新百合ケ丘の有名店「しょうが」。その名の通り、生姜料理専門店である。。
https://tabelog.com/kanagawa/A1405/A140508/14007192/




鶏鍋にローストビーフ、他にもサラダやしゅうまい、角煮などがでてきたけれど、すべて生姜がふんだんに使われている。生姜が全部に入っているけれど、それほど辛かったり癖があるわけではないので、子供でもおそらく大丈夫なのではないかと思う。

また、飲み物も生姜酒、生姜梅酒など、生姜のお酒がいっぱいある。あとから来る生姜の香りと後味が、いつもとは違うお酒の味を演出してくれる。。

本当に美味しくて、体も温まる!新百合ケ丘の有名店である。。

もともと2期生のKさんがアルバイトをしていたので、2回ほどこのしょうがで会を開いたことがあるのだけれど、じつに2年ぶりだった。。相変わらず美味しい生姜料理だった。



さて、M2, B4が卒業。昨日も書いたけれど、これで第1期生がすべて卒業になる。小山内研も一区切り。

上が抜けて今いるメンバーがどう変化するかも大事なところ。来週には新メンバーも決定するし、季節はめまぐるしく過ぎ去る。

それにしても、素晴らしい卒業生たち。自分がどれくらい貢献できたかはわからないけれど、写真を見るとみんないい顔している。未来がもっと輝きますように。

2019年2月21日木曜日

昨日で修論発表会は終了。もう教えることは・・。

昨日一昨日で、修論発表会は終了。

うちの研究室の3人だけれど・・・・

本当に立派だった。

AさんとTさんは最初緊張していて大丈夫かなと思っていたけれど、少し経ったらすらすら話しだして、質疑応答も見事だった。会場で聴いていた自分の方が、「あ、その質問、自分が聞かれたら答えられなかったかも笑」とこっそり思っていた。そんな質問にもきっちり答えていた。

そして、昨日のブログでも紹介したTくんだけれど・・・

もう言うことない。すごいよ・・感想はそれだけ・・。発表が15分間だけなのがもったいなかった。もっと聴きたいところだった。

これで研究室の第1期生が3人卒業し、1期生が全員研究室から巣立つことになる

寂しいというか、なんとなくまだ実感が湧かない。でも、昨日一昨日の発表を聴いていて思ったことは、

「もう3人に教えることはない」

だろうか。もう自分の知っていることは伝えきった気がする。3人は、すでに様々な面で自分を超えていると思う。これからそれぞれ新しい会社で活躍してほしいと願っている。


また、うちの研究室だけではなく、全体的に発表のレベルがすごく高かった気がする。

これにはもちろん理由があって、明大大学院の農学研究科の修士の場合、学部3年生から研究スタートして内部進学するケースが多いので、4年間研究をする になる。

一方、大学院を移って修士からスタートして、修士修了後に就職すると、研究期間は2年間になる。しかし、大学院の最初は授業があるだろうし、そのあと就活が始まると、実質半年間くらいの研究期間になってしまうことも多い。自分がいた東大分生研や総合文化研究科では、外部からの進学者も多かったので、あまりにも短い研究期間になってしまうことが多かった。

なので、今回の修士論文発表会では、長い期間研究しただけあって、ものすごくいっぱいデータが詰まった発表が多かった。

熟成肉で有名なM研のAさんも、あんなに発表が上手だとは知らなかった。。質疑応答も難しい指摘をうまくこなしていて見事だった。同じ研究室のOくんも、学部時代はいつも僕の授業で前の席に座って好成績だったけれど、研究もさすがだなあととても感心した。

食品のK研のNくんとは、大学院の講義で接したけどとても元気に発表していて、でも元気だけではなくすごく面白いテーマでいっぱいデータもあって、論理的に受け答えしていた。もう立派な大人だ・・・と感動した。。

隣の土壌研のKくんもすごいマシンガントークで、先生方から高評価だった。頭のキレがすごいんだろうなと感じた。乳酸菌のS研は、このM2世代が、まさに研究のブレイクスルーを作ったんだろうなと感じさせる研究発表で素晴らしかった。

他にも素敵な研究発表で語るに尽くせないが、こちらもすごく勉強になったし、同時に感動させられた。副査もこなして大変ではあったけれど、素晴らしい体験をすることができた。

これからそれぞれいろんな会社に入り、社会人として第一歩を踏み出すのだけれど、修士までで鍛えた実力で明るい未来を作っていってほしいなと思う。農芸化学科で4年、農芸化学専攻で2年間を過ごし、6年間をこの場所でこなした学生たちならば、きっと明るい未来が来るはずだと信じている。

2019年2月20日水曜日

修論発表会2日目。真打登場!

さて、修論発表会2日目。

2日目には主査が1件だけ。主査とは、ようするに自分の研究室の学生の発表という意味である。

そう、小山内研が誇る天才Tくんの登場である。

農芸化学専攻および農芸化学科のみなさん、ぜひ聴きに来ましょう。

すべてフルペーパーで、筆頭著者論文4報、リバイス中1報。さらに投稿準備中が2、3報くらい。発表時間が15分間なので、アウトラインになってしまうけれど、こんな修論発表はそうそうないはず。自分だって、修論発表の頃は、やっと1報目を投稿中だったくらい。それほどすさまじい業績である。。

しかも、これらの論文が、自分のアイデアが主体になっているところがすごい。僕は、本人が研究テーマを提案してくるので追認している感じ。もちろんディスカッションはするのだが、メインの発見は全部自分のコンセプトである。素晴らしい。

いずれにせよ、とても貴重な機会なので、下級生はぜひ聴きに来て欲しい。僕自身が、発表を楽しみにしている。。


2019年2月19日火曜日

修論発表会改め・・・降臨祭

いつもブログ記事を書いて貯めておくのだけれど・・・・

さすがにストックがなくなってしまった。

いや、ほんと忙しくて無理だ。。さすがにブログ記事まで手が回らない(その割にはツイートはしている。。)。

それはともかく、今日から修士論文の発表会が始まります!!!今日明日の2日間の予定です。

小山内研の最強の3人が登場します。

M2の3人合わせて、筆頭著者の原著論文が7報。リバイス中、再投稿準備中の論文もあり。さらに学部の学生顕彰から国内・国際学会のポスター賞、国際会議のセレクトトークに特許出願まで。

語るに尽くせない、最強の3人です。修論発表会ではなく、降臨祭とでも名付けたいです(←勢いだけで書いているので、意味は不明)。すばらしい発表が聴けるはずです。。

時間がある学生はぜひ農芸化学専攻の修論発表会にお越しください。9時からスタートします。

2019年2月18日月曜日

明日から修論発表会

明日から農学研究科(大学院)の修論発表会である。

性格には、修士学位請求論文発表会

明治大学農学部の場合、卒論は単位に必須にはなっていない。なので、卒論は書かなくてもよい。

一方、修士論文の場合は、論文を書くことと発表をして質疑応答をすることが必須になっている。

発表15分に質疑応答が10分間。他の大学院がどれくらいか忘れてしまったが、だいたい標準的なのではないかと思っている。

大変だとは思うけれど、こういう機会は非常に大事。会社に入ったら発表と質疑応答なんて毎日のようにある。卒業前に良い練習だと思って欲しい。

発表会は、賞賛をする場所でもけなす場所でもない。ひたすら「なんで?なんで?」と聞いていく。質問を予想して、その回答を準備しているかを試される。すべてがサイエンティフィックなわけではなく、仕事でも必要なプロセスを試されることになる。

さてさて、明日からが楽しみである。。。

2019年2月17日日曜日

忙しい時こそしっかり食べる。

さすがに、忙しい・・・

ということで、こんな時こそしっかり食べる。

子供達も大きくなってきて、すごい量を食べるようになってきた。下の子は食べ足りなかったらしい。。成長期恐るべし。。

忙しい時こそ、食事と睡眠は欠かさないようにしている。この2つを欠かすと、忙しいのに体調を崩してしまい、さらに大変になってしまう。当たり前だけれど、たまに忘れてしまう。本日はステーキでしっかりと元気をつけた。。

さて明日から仕事をがんばる。。





2019年2月16日土曜日

来週は修士論文発表会。

来週は修士論文の発表会。農芸化学専攻では、発表と質疑応答を合わせて25分間ずつの審査が行われる。

修士論文では、主査が自分の研究室の教員で、それとは別に2名の副査が審査に当たる。基本的には農芸化学専攻の教員が副査になるが、場合によっては別の専攻または別の大学の教員がなることもある。

今年はうちの研究室は3名。審査が通れば、はじめて修士を送り出すことになる。

第1期生がいよいよ卒業で、なんとも感慨深い。発表自体はまったく心配していないので、あとはこのような機会を体験して、社会に出てからも必要なプレゼンや質疑応答の練習をしてもらえればと思っている。

副査についても専門外の修士論文を審査しているが、なかなか面白い。。この時期はあまりにも忙しくて、ゆっくりじっくり読めないのが残念である。。。時間制限がなければもっと時間を使いところなのだが。それでも、きちんと審査をしたいと思っている。

さて、来週の修論発表が楽しみである。。どんな発表をしてくれることやら。

2019年2月15日金曜日

入試シーズン真っ盛り。

本日は農学部入試。入試シーズン真っ盛りである。

今年は雪がちらついた程度で、受験シーズン全体では大きな混乱がないようである。受験生にとっても素晴らしいことだと思う。

自分がセンター試験の時は雪だった。当日は止んでいたけれど、雪の中を試験会場まで歩いて行った記憶がある。

また、中学受験の時は、確か1日目、2日目と2日連続で大規模な交通遅延が発生した気がする。自分はそれほど人生をかけていたわけではないので(笑)、大変だなあくらいの思い出だけれど、いろいろと混乱した雰囲気だったことを覚えている。

受験生のみなさんが力を発揮できますように、お祈りしております。。。


2019年2月14日木曜日

科研費だけは礼賛?

TLで、研究費のことが盛んに議論されている。

いつみても思うのだけれど、科研費だけは礼賛され続けていて、他の予算については賛否両論である。

科研費は、日本学術振興会の科学研究費の略である。

ボトムアップ型の予算で、採択されれば研究者が自分の好きなテーマで研究をすることができる。他のトップダウン型の予算だと、ある程度テーマの縛りがあるので、完全には自由に研究をすることができない。

なので、もちろん科研費は、研究の多様性を支えるすごく重要な予算であることは、言うまでもない。

しかし、いろんな弊害もある。

例えば、大型の科研費を除いては、中間評価などはとてもゆるい。不正でもしない限り、打ち切ることになることはない。

これによって、研究者が方向修正をしながら自由にできるというメリットもある。

一方で、予算を獲得するところがピークになって、予算を獲得したらその研究はもうやらないという問題もある。

実際、科研費のデータベースで採択されたものを見てみると、「あれ、だいぶ専門が違いそうだけれど、そんな研究を本当にやるつもりなのか?」と首を傾げたくなるものもある。その後、やっぱりやらなかったんだろうなあというものもある。

挑戦してうまくいかないものは仕方ないとは思うけれど、挑戦もしていないのではないかと思われるものもある。

また、科研費はボトムアップ型なので、大型ではない限り、人件費に使うのは厳しい。なので、他の予算が削られて、科研費ばかりが増えてしまうと、外部資金で雇用されている人が減ってしまう可能性もある。

ケースバイケースなので、もちろん、科研費を増やすことで雇用が増える場合もあるが、盲目的な科研費礼賛はやや危険だと思っている。

2019年2月13日水曜日

過酷な2月。。

大学教員で、一番忙しいのが1月、2月。1月よりも2月の方が忙しいので、まさに最繁忙期である。。

期末テストが1月末でその採点や成績は、基本的に1月中なのだが、追試などの対応で2月にもかかる。

そして、2月には入試が本格化し、修士論文の発表もある。自分の研究室の修士論文を完成させるとともに、副査として他の研究室の修士論文を査読する必要もある。学部生については卒論発表に向けた最後の仕上げの時期でもある。

これに研究費の締めがあるし、研究が止まるわけではないので、研究の打ち合わせなども入ってくる。最も寒い時期にこの忙しさなので、大変な時である。「1月は行ってしまう、2月は逃げてしまう」という言葉通り、気がついたら終わっているのが1月と2月である。

隙間でいいから休みをとって体調を整えねば。この時期に体調を崩すと、致命的な忙しさになってしまうので。体を温めるようにしてからだいぶ体調が良いので、温かいものをたくさん飲んだり食べたりして、あと半月乗り越えたいと思っている。。

2019年2月12日火曜日

最終回:コミュニティを選んで生きていく。No.13

コミュニティを選んで生きていく。No.13。本日最終回。
やたら長いキャリアの話になってしまった。

もともとはコミュニティを選んだために、キャリアでうまくいったという話をしたかった。

いい人の話ばかりしているが、もちろん楽しいばかりのはずはない。

論文が通ったら全力で嫌味を言われたりすることもある。実感としては、論文を通っておめでとうと言われるよりも、「ちっ!」みたいに言われることが多い気がする。

低温室に入っていたらわざと電気を消してくるとかそういう人たちもいたし、何を言っても悪いようにしか取らない人たちももちろんいた。

あるコミュニティに所属してと、そのコミュニティを離れると自分はもう職を失ってしまうのではないかという恐れを抱いてしまうことも多いかと思う。研究の話ばかりではないと思う。

しかし、コミュニティの上層が性格が悪かったり、ネガティブであったり、能力がなかったり、自分に合わなかったりする時には、いち早くそのコミュニティを離れるのが良いと思う。

自分はそういうコミュニティから少しでも早く離れたため、研究を継続することができたと思っている。

それで、不利益を被ったかというと、正直、全然感じていない。むしろ合わないコミュニティに残ったら、今のポジションやグラントは獲得できなかったと思っている。

大学教員になってからツイッターなどのSNSも始めたが、ツイッターのアイコンを見て、「この人はどうせネガティブなことや悪口を言っているだろうな」、「また誰かと喧嘩しているだろうな」と、発言を見なくても感じる場合には、接しないようにしている。

別に無理して全員と仲良くなる必要はないし、意見を合わせる必要もない。お互い好きな世界で生きれば良いと思っているので。

自分が決めた人以外にはレスポンスをしないということを守ることで、SNS生活は今のところ平和に過ごせている。研究生活もこれと同様である。

コミュニティから飛び出すのには勇気がいるかもしれないが、合わないところから飛び出してみた後には、「なんであんなところに我慢していたんだろう?」と不思議に思うことの方が圧倒的に多い。

人生の選択は一度しかできないし、コントロール(対照)を取ることができないので、その選択が合っていたのか間違っていたのか検証はできない。

しかし、自分に合ったコミュニティを見つけることは、人生を豊かにする上で必須だと思う。今、自分の研究室を作り、良いスタッフや学生に恵まれ、自分の好きな学会に参加しているが、ストレスフリーでとてもハッピーである。行きたくないところには、行きませんと言っている(業務があるのでいけないことも多いので、誤解されると困るが)。

この連載でもいい人ばっかり出てくるが、そうでない人とはなるべく接しないことにしているので、必然的にいい人たちとの思い出が増えていくのである(もっと書きたい人はたくさんいるのだが・・・)。我ながらドライな人間であると思うが・・。

自分が所属するコミュニティは、自分で決める。当たり前だけれど、なかなかできないことであると思う。実行するには勇気がいるが、自分で決めたことなので、少なくとも後悔することはない。

すごく長いブログになってしまったが、自分がどういうコミュニティに所属しているのかを考えてみて、どれが合っているか、これでよいのかなど、常に検証しつつ最適化していくと、仕事もプライベートも良い方向に進むのではないかと思っている。


2019年2月11日月曜日

コミュニティを選んで生きていく。No.12

コミュニティを選んで生きていく。No.12である。いったいいつまでこれ続けるのか・・・・後に引けなくなってきた・・

2011年4月から始まったさきがけ専任研究者としての研究。藻類バイオエネルギー領域。場所は同じく理化学研究所だった。政権交代に東日本大震災と激動の中、研究を続けていた。子育ての忙しさもいよいよピークを迎えた時であった。。

さきがけでは、年2回の研究合宿がある。研究の進捗を問われる。これがとても大変であり、これがあるからものすごく成長することができる。

研究総括は、前農工大の学長である松永先生。生物工学の分野でトップに立つお方である。。アドバイザーの先生方も当然その分野の著名人ばかり。ここにさきがけ研究者が最終的には28人。このメンバーで泊まり込みの研究合宿を行って、熱い議論をかわすのである。

このさきがけ合宿は、かなり本気モードで研究のディスカッションをする。さきがけに採択されたからには、成果を出さなければ世間の目も厳しい。

厳しい言葉を投げかけられる訳ではないのだけれど、「成果を出すんだよね!?」という目に見えないすさまじいプレッシャーを受ける。

あ、いま自分が自分の研究室でやっていることかもしれない笑。

それはともかく、さきがけに選ばれるような方々に混じって、泊まり込みで何度も研究合宿をするのである。成長しないはずがない。

正直、こういう合宿を味わってしまうと、普通の学会に行くのが味気なくなってしまった。このころから、学会には招待とか発表依頼とかをされないとあまり行かないようになってしまった。

このころから、シアノバクテリアの分子生物学コミュニティから微細藻類の生物工学コミュニティに軸足を移すようになってきた。物質生産をやっていたら忌み嫌われていたところからぴったりのコミュニティを見つけ、水を得た魚のような気分だった。

このさきがけ領域で知り合った方々との縁は、今に至る研究の流れを作ってくれた。

人の縁というのは本当に不思議なもので、科学者だけれど、なんか科学を超えたものを感じる時がある。

2011年4月からさきがけがスタートしたが、なんと、その年には偶然研究総括のご息女の結婚式に参加してしまうということがあった。

新郎の方が、大学院時代の仲良しで、同じ研究室でもないし、同じ学年でもないのになぜか馬が合って結婚式に呼ぶレベルであった(自分にとってはすごく珍しい)。

新郎の結婚式に友人として参加していたら、研究総括が正装でいらして、「なぜ?!」と思ったら、なんと新婦側のお父さんだった・・・。

その後、研究総括と会うたびに話すびっくりな話であった。

本当に人の縁というのは不思議で、このさきがけ研究以降、人にはすごく恵まれている。さきがけで初めて雇用したIさんは、理研ではテクニカルスタッフで、今は明治大学のポスドクである。また、さきがけで一緒に採択された神戸大学蓮沼先生とは、現在JST-ALCAのプロジェクトを一緒に進めている。

こうして素晴らしい出会いにたくさん恵まれて、その後2015年に明治大学で研究室を持つことができた。振り返ると、感謝ばかりである。。


最終回のNo. 13に続く。

2019年2月10日日曜日

コミュニティを選んで生きていく。No.11

コミュニティを選んで生きていく。No. 11である。これまでの最長連載になってしまった。。

2011年4月から2014年3月までの丸3年間がJSTさきがけ専任研究者として、サポートを受けつつ、個人型の研究を進めることができた。

理化学研究所で研究をしていたので、次から次へと重要な案件に触れられることも貴重な体験だった。

ちょうど組織が植物科学研究センターから環境資源科学研究センターへと移行したが、その際に文部科学省へと送る計画にも微細藻類が入り、(ごくわずかではあるが)作成の一端を担うという経験もした。

また、次々に大事な発表や打ち合わせも入った。植物科学シンポジウムという大きな会議での発表、理事長ファンドという理化学研究所内の競争的資金の面接、理研と外部企業との懇談会、SPが付くVIPがくるようなホテルでの研究会などなど

理事長ファンドの面接では、センター長、副センター長、そして自分の3名でヒアリングに臨むという体制で、我ながら「お前誰だよ笑」と思いながらヒアリングに参加していた。ちなみにこのヒアリングで獲得した研究費はなんと1億円!1億円がセンターにもたらされたが、少しは使わせていただいたものの、ほとんどセンターの予算となった。いや、予算はともかく、そんなことをしても周りからはだれからも感謝されないという状況で、だんだんにひねくれていく笑。

ただ、センター長、副センター長などは認めてくれて、若手で予算を獲得した他の方々とともに、共有スペースを配分してくれた。このとき一緒に使っていた3人は、その後すべてPIになっているので、こうした配慮は本当に有り難かったし、真の意味で若手のプロモーションにつながったと思う。

このころは、朝4時半には勝手に目が覚めた。場合によっては3時半に起きていた。そしてひたすら仕事。子育ての大変な時のピークでもあった。今思い出しても、同じことは2度とできないと思う。。

さきがけで世界が広がり、理研でも研究を存分にできるようにはなったが、さらに素晴らしい出会いが待っていた。

No.12に続く。

2019年2月9日土曜日

コミュニティを選んで生きていく。No.10

コミュニティを選んで生きていく。No. 10である。間違えて先にNo. 9を配信してしまったが、気にせず進めよう・・。

さて、さきがけ研究者になった2011年。この年は政権交代に加え、3月には東日本大震災。それによる原発事故があり、本当に大変な年だった。

さらにこの年には二人目の子供が生まれたので、家庭の忙しさもピークを迎える。誇張表現ではなく、体がぼろぼろになるくらい忙しかった。

JSTさきがけは、研究費の中でも一風変わった予算である。このさきがけは、ただ研究を推進するだけでなく、若手研究者を育成するという明確な目的がある。そのため、合宿形式の研究発表会を年2回行うのである。

研究総括は、農工大前学長である松永先生。他にも分野のトップのアドバイザーの方々が名を連ねている。
http://www.jst.go.jp/presto/bioenergy/info/adviser.html

自分はシアノバクテリアの分子生物学分野だったので、このさきがけに参加して、初めて化学・工学分野にも微細藻類の研究者がたくさんいることを知った。いや、むしろ規模は大きかった。。

小さいコミュニティで研究していたのでと、そんなことも知らなかったのである・・・。現在ではこの領域のおかげで交流があるが、それまでは分子生物学系と化学・工学系ではあまり交流がなかったように思える。

このさきがけに参加して、「ああ、世界はこんなにも広いのか・・」と感じるとともに、領域名にはバイオエネルギーとついているように、応用志向の研究領域である。自分にぴったりで非常に嬉しかった。

また、同じく採択されたさきがけ研究者の方々も、当然優秀。こういう方々と年2回合宿をする。いやでも成長させてもらえるのがさきがけの素晴らしさだと思う。

こうして、総括、アドバイザー、さきがけ研究者の方々と接していくうちに、分子生物学メインから生物工学メインへとシフトしていくことに決定する。

自分のもといたコミュニティの研究会にはあまりいかなくなってしまったが、別に困ることはない。

「コミュニティから抜け出すと、将来自分は一人で誰からも助けてもらえないのではないか」と不安に感じるかもしれないが、自分に合わないコミュニティにいる方が、未来が暗くなっていくと思う。


なので、なんとなく同じコミュニティにいるけれど、なんか合わないなと感じたら、遠慮なく出ることをお勧めする。もちろんケースバイケースなので、絶対にその方が良いとは言えないが。。

ともかく、さきがけ研究のおかげで、新しい分野の方々と密な関係を築くことができた。

No. 11に続く。

2019年2月8日金曜日

コミュニティを選んで生きていく。No.9

コミュニティを選んで生きていく。No. 9である。

素晴らしい共同研究者とご一緒できた2010年。理化学研究所でもなぜかシアノバクテリア研究を推進することになった。一人で培養装置をせっせとセットアップしていた。ドリルとかでガリガリやっていた日々が懐かしい。

さて、2010年に予想もしないことが起きた。

それはなにかというと、科学技術振興機構JSTの戦略的創造研究推進事業で、藻類バイオエネルギーという領域が立ち上がった。

この事業は、国の方針に沿って、特定の研究領域が立ち上がり、近い分野の研究者が集まって比較的潤沢な予算で研究を進めることができるものである。

そんな事業に、藻類というマニアックな領域が立ち上がった。しかもバイオエネルギーなどの応用を志向した研究。

さきがけという若手個人型の募集と、CRESTというチーム型の募集の両方があった。

もう考えるまでもなく、さきがけに応募する流れとなった。

このさきがけは、若手研究者の登竜門とも言われ、若手に潤沢な研究予算をつけてくれる。また、任期付きの人はさきがけ専任研究者となることができて、別途給与も得ることができる。

さきがけなどは募集分野が決まっているので、好きに応募することはできない。自分に合う領域がないと、どんなに優秀でも採択されることはない。

そんな中、「これ自分のための領域では!?」と勘違いしなくなるほどぴったりな領域が立ち上がった。しかも理研でセットアップをして、上の方がとも話し合ってシアノバクテリア研究を立ち上げたところである。なんというタイミング。

ということで、転写制御因子を使ったシアノバクテリアPHB(ポリヒドロキシ酪酸)の増産というど直球の研究テーマで応募した。

スーツで汗をかきながら、JSTで面接をしたことを覚えている。そう、このころからJSTと聞くと、面接を思い出し、背筋が伸びるのである。。笑

今から考えると、必死に計画書を書いたものの、かなり甘い計画で恥ずかしい限りだったが、それなのに自信満々だった。若いってすごいなあと感じる。研究総括やアドバイザーの先生方もその辺はきっと若者だからで許してくれたのではないかと思う。でも、今でもその申請書を見ると、かなり気合を入れて書いたことがよくわかる。

採択のお知らせは理研の方に電話でかかってきたのだけれど、今でも電話を受けてさきがけ研究を始めることができるようになった時のうれしさは、鮮明に覚えている。

一方、その年は政権交代などでかなりごたごたしていたので、通常は3年半とところが、3年間になってしまったなど、政治や社会情勢と研究は密接に繋がっているのだと実感させられるようになってきたのもこのころである。

ともあれ、さきがけ研究者として、研究を始められることになった。ここから怒涛のごとく素晴らしい出会いが待っている。。

No. 10へ続く。

2019年2月7日木曜日

コミュニティを選んで生きていく。No.8

コミュニティを選んで生きていく。No.8である。

2010年の話。理化学研究所で植物研究を始めたところだったが、図らずもシアノバクテリア研究を再開することになったところ。

さて、ここから素晴らしい出会いの連続である。

話は少し前後するが、素晴らしい出会いの一つが、理研メタボロームチームの及川彰博士(現山形大学准教授)である。当時は理研専属だったが現在は山形大と理研の両方に所属されている。

メタボロームという名前のチームに所属することになったのだが、何を学んだかというと「メタボローム解析は難しい」ことである。

トランスクリプトームなどと違い、メタボロームが対象とする代謝産物は、性質が千差万別である。なので、1つの機械で全部測定することが難しい。

そして、機械のメンテナンスなどに膨大な予算と労力が必要となる。

軽い気持ちでメタボローム研究を始める!となっても、装置が扱いきれなくて壊れてしまうことが結構ある。こうした現状が分かってきた。

そんな中、及川さんはキャピラリー電気泳動マススペクトロメトリー(CE-MS)でのメタボロームを操れるすごい方である。昨年のメタボロームシンポジウムでは、ケーキとかカレーのメタボローム解析結果をご披露されていて、会場は爆笑の渦だった。

それはさておき、自分ではメタボローム無理!といち早く判断し(←こういうところが適当)、及川さんと共同研究をお願いすることになった。

及川さんとは年も近く、そして・・・顔が似ているらしい笑

これまで3回くらい及川さんだと思われて話を勧められたことがある。最近メタボロームいかがですか?みたいなことを聞かれてはてな顏をしたことが何回かある。昨年のメタボロームシンポジウムでも誰かに間違われた気がする。。

それはさておき、人間的にもとても素晴らしい方で、ご一緒させていただいている。最初のメタボローム解析は2011年にJBCにアクセプトになった。
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/21757761

そのあと、Environmental Microbiologyという雑誌に確か3本くらいco-first(共同筆頭著者)として論文を出した。及川さんさまさまである。。やはり理研などにいるとこうした出会いが次から次へとくるのが良いところではないかと思う。難しい面もたくさんあるけれど・・・・(それはいつかにとっておこう)。

2010年から始まった理研でのシアノバクテリア研究は、こうして若手研究者の方々と一緒にできることにあった。そんな中、人生を変えてくれる出来事が待っていた。。

No. 9につづく。

2019年2月6日水曜日

コミュニティを選んで生きていく。No.7

コミュニティを選んで生きていく。No. 7である。

理化学研究所で、植物科学研究センターが環境資源科学研究センターに改組するときの話。光合成とバイオプラスチックの融合というまさに自分のテーマみたいな話が振ってきた。2010年くらいの話である。

さて、PHB(ポリヒドロキシ酪酸、バイオプラ原料の一種)の制御因子候補をすでに見つけていたところ、センターのテーマとぴったりだったので、化学系の方々とお話をすることになった。

理化学研究所でPHA(ポリヒドロキシアルカン酸、PHBを含むポリエステルの総称)といえば、土肥義治先生である。日本の化学のものすごく著名な先生であり、PHA研究の大御所である。研究室の出身の方々がすでにいろんな大学で教授になっているというすごいところである。理研の主任研究員や理事を勤めておられた。

その土肥先生のチームに、アメリカ帰りの沼田圭司博士(現、チームリーダー、当時は上級研究員)が加わり、実質的にPIとして研究を始めるところだった。

そう、この沼田さんは本当に優秀で、「ああ、完璧な人っているんだな・・・」とプレゼンを聴きながらいつも惚れ惚れとするすごい人である。。その後はチームリーダーになり、かつ、現在は30代でERATO(日本で最も巨額の研究費の1つ。ノーベル賞受賞者・候補者が取るような予算)の代表である。恐ろしや。。。

沼田さんは、高分子が御専門だけれど、バイオでもなんでもできる。まあ、本当になんでもできて、尊敬できる方である。。年下とは思えない・・。

そんな方と初めてお会いし、教えてもらいながら理研でシアノバクテリアのPHBの研究をすることになった。2010年のはじめだったのではないかと思う。1年くらい全く触っていなかったシアノバクテリアだが、シロイヌナズナをやりつつ、ここで正式に復活することになった。人生はわからないものである。

そんな感じでシアノバクテリアをやることになったので、理研でインキュベーターを一台借りて、シアノバクテリアの培養装置を一人でセットアップしていた。

それまでは研究室にある培養装置を使っていたが、今度は自分で立ち上げなければならなかった。いろんなチューブやらコネクタやらポンプなんかを購入。工具箱を漁りながら培養のセットアップをしていた。大変だったけれど、このときの経験があったので、自分がラボを持ったときにはすぐにセットアップをすることができた。。

さて、正式にシアノバクテリアを始めることになった2010年だが、まだまだ追い風は吹いてくる。

No.8につづく。・・・・これいくつまでいくんだろう・・・

2019年2月5日火曜日

コミュニティを選んで生きていく。No.6

コミュニティを選んで生きていく。No.6。なんか思いの外長くなってきた・・・。理化学研究所に移ってからの話。理研に移ったのは2010年。学振の3年目から出入りしていたので、研究は2009年からスタートしていた。

さて、理研旧植物科学研究センター平井先生のチームに移る。場所は横浜の鶴見区である。

ここでは、高等植物のシロイヌナズナを初めて研究することにした。そろそろシアノバクテリア一辺倒なのもちょっと思い、高等植物の研究を進めることにした。

とはいえ、植物はあまりにも複雑なので、自分としては葉緑体に絞って研究を進めようと思っていた。葉緑体はシアノバクテリアの細胞内共生でできたものなので、研究のつながりという面でも適していた。

研究としては、最初のあるあるで3ヶ月くらいただのクローニングができなくなるなど、いろいろな苦労もあったが、まあそれなりに順調には進めていた。

当時の平井チームは、メタボローム研究グループという大グループに所属していた。グループのボスは斉藤和季先生で、千葉大の薬学部の教授でもある。ビッグボスである。

当時、メタボローム研究グループには、のちに筑波大の教授になるKさんや阪大の教授になるMさんもいた。 それらの方々をまだ先生ではなくさん付けで読んでいた時代だった。今考えると豪華メンバーである。。

シロイヌナズナを始めたものの、最初は手探り。また、シロイヌナズナの研究は、バクテリアをやってきた人間からするととても大変である。

時間はかかるし、個体差めっちゃでるし・・・。個体差がでないように生育させるのが、そもそもの腕なのだと思う。自分は栄養欠乏などを試していたので、まずはそれに合わせた試行錯誤が必要で、かつ、特殊な悪い生育環境なので、実験が難しかった。

なので、2009年からはじめて1年くらい経ってから「アウトプットを高めるために、シアノバクテリアもやっておくか」と考えるようになった。

ところが、この辺もコミュニティの難しさがでてくる。

自分がシアノバクテリアもやりたい!となったら、資金とスペースを用意し、ボスを説得しなければならない。どれか1つ欠けても研究をすることはできない。これが自分の独自の研究をする難しさである。ただ、「やりたいです!」でやらせてもらえるのは学生までではないかと思う。職業として研究をやっている以上は、少なくとも説明責任は伴うし、自分の研究というならば資金やスペースも自分で考えなければならない。

理研は施設は理系なのだけれど、実はスペースに困っている。大学と比べればましだが、スペース問題はかなり深刻である。なので、ただやりたい!と言っても不可能なことが多い。

さいわい、1年間くらいシロイヌナズナを研究しながらチームに所属しており、植物インキュベーターが1台全く稼働せずにあったので、それを交渉してシアノバクテリアのインキュベーターにさせてもらうことになった。そう、このあと2年くらいはたった1台のインキュベーターでシアノバクテリアの研究をしていた。条件なんて変えられない。。。笑

高等植物の研究をしつつも、一人で微細藻類の研究を復活させようとしていた2010年。またもや一人になってしまった。中心から外れるのは、自分のせいかもしれない笑。

ところが、こういう時に自分は運がいい。

このころ、植物科学研究センターが改組することになっていた。理研というのは不思議なところで、純粋に研究に集中をさせてもらうことが難しい。常に新しい組織改変をしつつ、文部科学省から研究費を取ってこなければならない。内部の人はこれに労力を取られまくるのである。。

植物科学研究センターが改組になり、本所である埼玉県和光市の化学系のチームの方々と、横浜の植物系のチームが統合し、環境資源科学研究センター(CSRS)を作るという話になっていた。

こういう新しいセンターを作るのだから、当然新しい企画がなければならない。とはいえ、既存のグループは研究を継続しなければならない。新しい企画は必要だけれど、本音は継続がいいというのが組織づくりの難しいところである。

なので、上の方々は新しい研究計画を探していた。和光の化学系には、バイオプラスチックであるポリヒドロキシアルカン酸(PHA)の世界的に有名な先生がいらっしゃった。PHAはバクテリアが作る生分解性のプラスチックである。

環境資源科学研究センター発足にあたり、PHAなどのバイオプラスチックと光合成の融合が一つ大きなテーマとして考えられた。

ところが、植物やコケ、真核藻類はPHAを作らない。なので、PHAを植物などに作らせるとしたら、まず遺伝子を導入しなければならない。少なくとも2つか3つくらいの遺伝子を導入するところがスタートである。しかもそれはただのスタートであるし、類似の研究が海外では進められていた。なので、誰かが挑戦するにはリスクの高いテーマである。

そんな状況のなかPHAを作る光合成生物といえば・・・シアノバクテリアである。全部のシアノバクテリアが作るわけではないのだけれど、たまたま自分が使っているモデルシアノバクテリアであるSynechocystisが、PHA(正確にはポリヒドロキシ酪酸PHB)を作るシアノバクテリアだった。

しかも、自分は転写制御因子の研究をしており、なんと、PHBの生合成酵素遺伝子の転写を制御しそうな因子を2つ見つけたところだった。たまたま自分が解析していた因子が炭素代謝の制御だけなく、もう少し先のPHB生合成を制御していそうだった。

転写因子の候補があり、かつ、すでに変異株を作っていて、PHBってどうやって測定するんだろう?と論文を読んでいたところだった。そんなところに、PHAと光合成の融合の話がやってきた。

話を聞いた時には、

「は?いや、PHAと光合成ならば、ここにもともとPHAを作るシアノバクテリアがいて、転写制御因子候補があって、過剰発現株(変異株の一種、特定の遺伝子の発現を増やした株のこと)があって、たぶんPHB量が増えそうなんですけど・・・」

という状況だった。なんというタイミング。ということで、ただの一研究員だったのだが、すぐさま偉い方々の部屋に呼び出された。。ここでまた素晴らしい出会いが待っていた。

No. 7に続く。

2019年2月4日月曜日

コミュニティを選んで生きていく。No.5

コミュニティを選んで生きていく。No.5。理化学研究所に移ってからの話。2つ目のポスドク先。移ったのは2010年のことである。

そう・・・こうして振り返って考えてみると、ここからの人との出会いは良い意味ですごかった。天の配剤とでも言いたいくらい、なんというか・・・用意されていたのではないかと思うくらい、素晴らしい出会いの連続だった。

ともあれ、理化学研究所の旧植物科学研究センター(現在は環境科学研究センターに改組)の平井先生の研究室に移った。当時の名前は、代謝システム解析チーム。今は代謝システム研究チームになっている。文字通り、植物の代謝の研究室である。

さて、書くことはいっぱいあるが、まずはPIの平井先生について。

すごくやさしい・・・・。人間的な魅力がある・・・。

いや、もうポスドク2年目でもあるし、自分で研究も進められるようにはなってきた。ちょうどこの前の年、2009年にPNASに論文が通ったが、これが自分で投稿作業からリバイスのやりとりまですべて個人でやった初めての論文である。次の2011年には1つ目のポスドクの研究がJBCに通り、こちらも自分で投稿・リバイス作業をしていた。2つとも筆頭兼責任著者である。

ということで、研究には少し自信がついてきた時期でもあり、大事なのは研究環境だった。

研究環境とは、もちろん研究設備や予算が大事であることはいうまでもないが、やはり上司も大事である。一言で言うと、「この人のために成果を出したい!」と思うようなところで働きたかった。

それまでもすごく自由に研究をさせてもらっていたのだけれど、大学院時代はちょうど予算の関係で、シアノバクテリアではなくシゾンという紅藻のプロジェクトにボスが注力しなければならなかった。

また、1つ目のポスドク先では、やはり外からきた独自テーマの人だったので、好きに研究をするものの、まあ、ぽつんと一人でやっているイメージが強かった。立ち位置を確保することはとても難しい。

人間のモチベーションというのはいろいろあり、「自分がこのコミュニティの中心にはならない・・」と思うと、人は離れていくものではないかと思う

中心というは、別に偉くなることだけを指してはいない。偉くならなくても、ボスが興味があるかどうかがとても重要だと思う。

実際、自分が研究室を運営していても、中心となっているようなスタッフは長く働いているし、そうでないと離れて行くような気がする。

また、上で述べたように、平井先生はすごくチャーミングでかわいいので(PIに対して言うセリフだろうか?笑)、それだけでも「よし、この人のために頑張ろう!」という気にさせてくれる。人間のモチベーションなんてそんなものである。。

研究テーマなどについての流れは次回以降にするとして、まずは「この人と一緒に働くといい感じかも!」と思える人のところで働くことが大事であり、この時はその直感が当たったケースであると言える。

No.6に続く。

2019年2月3日日曜日

コミュニティを選んで生きていく。No.4

コミュニティを選んで生きていく。No. 4 

2つ目のポスドク選びの話。
2007年に博士号を取得し、学振特別研究員になった。任期は3年間。しかし、そろそろシアノバクテリアの分子生物学一辺倒にも飽きてきていた。また、一貫して転写制御、代謝制御メカニズムだったので、それにも飽きてきていた。



さらに、応用研究を認めるようなコミュニティではなかったので、その辺もそろそろ別のところに行こうかな?という動機になっていた。もちろん、学振の任期が3年なので、常に次を探さなければならないという事情もあった。ほんと、任期短すぎる・・。

次を常に探している任期付きの時だけれど、ポスドク1年目の終わりに、のちに所属することになる理化学研究所旧植物科学研究センター(現環境資源科学研究センター)の平井優美先生の集中講義があった。平井先生は、高等植物の代謝研究で、かつ、メタボローム解析の専門家である。

これは大学院生向けの講義なのだけれど、ポスドクで紛れ込んでいた。。もともと自分は光合成の代謝研究だったので、平井先生の高等植物と自分のシアノバクテリアの違いはあるが、分野としては近いものを感じていた。

そして、講義を聴いたあと・・・・その場で、「応募させてください!」と言っていた。

これにはいろいろな訳があるが、一つにはシアノバクテリア分子生物学の研究コミュニティの流れの問題があった。

今の人たちからは信じられないかもしれないが、ほんの10〜20年前まで、シアノバクテリア研究は、日本がトップであったと言っても過言ではない。

1996年にかずさDNA研究所の田畑先生が全ゲノムを決定した。その後、基礎生物学研究所村田先生を中心とするトランスクリプトームの立ち上げ、さらには遺伝学研究所中村先生を中心とするCyanoBase、京都大学金久先生を中心とするKEGGとの連動、元かずさDNA研究所佐藤先生による網羅的ツーハイブリッド解析・・・などなど、日本が世界に先駆けて、ゲノム、ゲノムデータベース、トランスクリプトーム、プロテオーム(タンパク質間相互作用)まで進めていた。

これは本当にすごいことだと思う。

しかし、ちょうど自分が学位を取った2007年くらいにシアノバクテリアの中心であった基礎生物学研究所村田先生が退官になった。村田先生はシアノバクテリアの研究者であり、多くの有力な研究者を集めることができるコミュニティを作れる方であった。ところが、村田先生の退官にともなって、次のプロジェクトが難しくなってしまった。

どこで詰まったかというと、シアノバクテリアの分子生物学コミュニティは、次のメタボローム解析に進めなかったのである。メタボロームは、べらぼうにお金がかかるので・・・。

研究コミュニティのこんな流れを感じているところだったので、平井先生のメタボローム解析の話を聴いた瞬間、「よし、ここに行こう。」となったのである

平井先生には講義が終わったあとに、いきなり話しかけ「基礎特研を受けさせて下さい」と言った。基礎特研とは基礎科学特別研究員の略で、理研独自のポスドク制度である。

理研独自の学振制度といえばわかりやすいかもしれないが、外部資金で雇用されるのではなく、自分で研究室を選び、書類審査と面接をクリアすると、自分の給与と研究費がついて、その研究室で独自の研究ができるという制度である。自分で給与を引っ張ってくるので、応募先の研究室に雇用原資があるかを気にする必要はない。

いきなり話しかけて、「ぜひ平井先生のところを志望して、基礎特研を受けさせてください。いやいや、基礎特研に受かることはそんなに難しくないんで。。」とか偉そうなことを言っていた気がする。うーん、若いって、素晴らしい(苦笑)。さぞかし不審人物に映ったことだろう。。

その後、学振の任期は3年だったのだが、3年目は理研とも行ったり来たりしながら研究を進めていた。学振の任期3年が終わり、最終年度に基礎特研に受かったので、2010年から基礎科学特別研究員として、理化学研究所の平井先生のところへ移ることになった。

ちなみに、学振の2年目から基礎特研に応募していて、その年の基礎特研は補欠で不採択だった。上記の偉そうな発言をしておきながら、落ちたのである笑。まあ、研究者ってどこか楽観的な人が多い気がするが(主語を大きくすると怒られるか・・)、自分もそんな感じである。。

そして、この時の応募テーマは、シアノバクテリアではなく、高等植物のシロイヌナズナだった。こうして、微細藻類の研究からは一旦離れることになる。

No. 5に続く。

2019年2月2日土曜日

コミュニティを選んで生きていく。No.3

コミュニティを選んで生きていく。No. 3である。

大学院の時代の話。

大学院の研究室は、ごりごりの分生物学。個人の研究テーマ。個人でやっていかなければいけないので、もちろん大変ではあったけれど、すごく楽しかった。いや、死にそうだったけど・・・。比喩ではなく、大変で死にそうだった・・・。

それはさておき、少なくとも、自分の研究ができるという、当たり前のようだけれど当たり前ではない良さがあった。

そして、大学院で博士号取得後は、学振の特別研究員、いわゆるポスドクとして別の研究室に移った。

この際には、研究テーマは少し変えつつも、大学院のテーマの継続に近かった。まだまだやることがいっぱいある!という感じだったので。なので、分野の近い先生のところに応募して採択された。学振だったので、自分で研究を自由にできるところもよかった。

しかし・・・である。ここでもいくつか問題が生じる。

優秀は人々が集まっていて良いラボではあったのだけれど、自分で持っていくテーマなので、研究室のボス(PI)のメインではない。ようするに、あんまり興味がなさそうだった。。

あと、当たり前だけれど、各研究室にはそれぞれの研究スタイルというか主義みたいなものがあり、とても勉強にはなったのだけれど、昨今の任期付きの研究者にはつらいスタイルだった。

何が辛いかというと、教育重視だったので(それは素晴らしいことだと思うけれど)、週1回は5時間くらいのゼミがあって、学生の研究を聞かなればならなかった。また、例えばシークエンスなどの外注はだめなど、教育重視だったので、アウトプットを次から次へと出して職をつなげていくには、やや辛い状態だった。

また、このころ基礎の分子生物学から応用へと展開しようと思い始めた頃だったのだけれど、応用に対する反発も大きかった。内部の研究会では、「役に立つなんて言わずに、自由に研究をやりましょう!」とい意見で全会一致だった。2007年の学会で、今につながる転写制御因子による代謝工学の話をしたが、反応してくれた人はたまたまその会に散開していた味の素の方だけだった。

ちなみに、これが10年と少し前の話でシアノバクテリアの分子生物界隈は応用反対の人が多かったのだが、そのあと欧米発のバイオエネルギーブームが来て、微細藻類の応用展開がもてはやされると、みんなして手の平を返して応用の看板を掲げ出した。今考えても「大人って適当だな・・・」と思うが。一言で言うと、かっこわるいなと思った。


こういうコミュニティにやや嫌気がさし、さらに大学院からシアノバクテリアを続けてきて「そろそろ飽きてきた・・」と感じていたので、コミュニティをがらっと変えることにしたのが次の展開である。これから語るが、の展開がなければ今PIになっていることはなかったと思う。振り返ると、自分は判断が早く、出会いにはとても恵まれている人間だ・・・。

No. 4に続く。


2019年2月1日金曜日

コミュニティを選んで生きていく。No.2

コミュニティを選んで生きていく。No.2。

卒論の研究室の話。

自分は出身大学は国際基督教大学(ICU)である。ここの教養学部。理系ってあるの?とよく言われるが、教養学部なので自分は、半分理系な感じである。

卒論は4年生から。ただし、ICUはリベラルアーツカレッジであり、ユニバーシティーとは名乗っているが、カレッジ(単科大学)である。

リベラルアーツカレッジは、「ここで4年間がっつり幅広い勉強をして、専門は外の大学院でやってね。」というところである。特に実験系のように、設備が必要なところは大学院から別の場所でどうぞ、というスタイルである(いまは知らないが、大学のパンフレットに書いてあった)。

実験設備があまりなく、また、希望を言ったところ、卒論を先生のつながりの理化学研究所で行うことになった。いわゆる外研である。

今はもう退官されているが、理研の和光本所に大きな研究室があり、かつ横浜にもチームがあるといういわゆるビッグラボだった。

そこに何もわからない4年生が参入する。新鮮ながらもそれはそれは苦しい日々だった。今思い起こすと、全然実験なんてしていないのだけれど・・・。「今日はプラスミドとる!」とかが1日仕事だったり・・・。

さて、ここから大学院に進学するのだけれど、まず最初の選択が来た。「そのまま同じ研究室で進むか、別のところに行くか?」である。大学院に進学すること自体は決めていた。

正直、始めたばかりだし、よくわからないのでそのまま大学院も同じ研究室に行く予定だった。理研なので大学院は別のところに所属して、外研で行くことになっていた。

しかし・・・である。

よくある話だけれど、ビッグラボで研究室としては成果が華々しかったとしても、自分の所属するチーム(小コミュニティ)がそうとは限らない

自分の場合はまさにそんな感じで、研究室の中ではあまりメインではないテーマであり、アウトプットも少なかった。

また、何といってもやばい・・と思ったのは、このままだと「筆頭著者になれないなことだった。

たまたまだけれど、チームが自分を含めたB42人とM1 2人だった。そして、上の人も研究員だったので、筆頭著者で論文を書く。これはパーソナリティの問題だけれど、下の実験データを使って自分が筆頭著者になろうとする人は、たくさんいる。となりの同期が「自分が抗体作ったのに、それを勝手に使って結果を出しているんだけど・・・」と嘆いていた。

しばらくしていくうちにこれらの問題に気づき、「うん、別のところに行こう」と決めて、大学院は違うところに行った。今考えると、本当に良い選択をした。



なので、ビッグラボで華々しい成果があっても、所属するコミュニティによるので、難しい。外からは全然わからないし。

しかし、よく言われることだけれど、筆頭著者の分布を調べるのは大事だと思う。論文がたくさん出ていても、学生の筆頭著者論文があるかどうかを調べたほうがよい。もし学生の筆頭著者論文がない場合には、自分も論文を出せない可能性が高い。それが努力とかの問題ではなく、上記のように研究の構造上の問題だとすると、自分で解決するのはかなり困難である。

正直、こんなことはB4でわかる由もないのだけど、それでも直感を含めて考えて選択していくことが重要であると思う。

No. 3に続く。