2018年9月3日月曜日

初めての論文作成は、地獄の一丁目

おそろしいタイトルで始まる今日のブログだが、初めて論文を作成する時には、「地獄の一丁目に立った」と思うくらいで丁度良いと思っている。

地獄の一丁目とは、極めて恐ろしい場所、覚悟を決めなければいけない場所という意味である。そのまま、地獄の入り口という意味である。

よくよく考えれば、本来こんなことを言うのはおかしい。なざならば、研究で論文作成の開始とは、「データがたくさん得られなければ到達しない地点」だからである。データが不十分ならば実験をしただけで時間切れになって終わってしまう。

なので、本来、論文作成に入れることは、とても素晴らしいことである。

それなのになぜ最初の論文作成が地獄の一丁目かというと、理想と現実があまりにもかけ離れているからである。

論文作成に到達するくらいなので、自他共に認めるくらいには優秀である。当然、文章をそれなりには書けると考えている。話の構成なども自分でできると思っている。レポートなどで訓練も受けたはずであり、その時も良い点をとっていることが多い。

しかし、原著論文となると、これまでやってきたものとはレベルがけた違いなのである。

レポートだったら「学生が書いたもの」として採点されるが、論文では学生だろうが、教授だろうが関係ない。いきなり無差別級の世界に放り込まれるのである。

また、科学論文では作法、様式、ルールなどがある。これらを身につけないことには文章を作成することはできない。どんなにIQが合ってもこれらのルールを身につけなればいけないのである。

野球やサッカーなどの複雑なスポーツの場合、どんなに運動神経があっても、練習を繰り返して小慣れてこないと一流にはなれないのと似ている。

しかしながら、初めての論文作成では、これまでの自負と共に、「自分の論文はすごいジャーナルに載って、賞賛されるのではないか!?」という期待だけが膨らんでいってしまう。

また、リバイスというレビューアー(査読者)との戦いをしなければ論文は掲載されないのだが、「追加実験なしで通ってほしい!」という願望も捨てきれない。

こうした理想と現実の狭間で、ものすごく苦しむのが初めての論文作成である。だから、地獄の一丁目という表現をしている。

過去の自分もまさにそうで、大げさかもしれないが、初めての論文作成から採択まで(全部で2年くらいかかった!)が人生の底である。一本の論文ごときで何をと思うかもしれないが、それくらい辛い時期だった。

この記事で伝えたいことは、それくらい辛いのが普通であるので、焦る必要はないということである。そして、そんな苦しい状況を突破するには、毎日1つでいいから改善してそれをずっと続けることである。

こんな当たり前のことが、「早く論文を!」という焦る気持ちによってできなくなり、心身に影響するくらいまで辛くなってしまうことが往々にしてある。

この記事を読んでいる人でなかなか論文が通らない人もいるかもしれないが、周りの人の成果も「通ったところ」しかみれないので、簡単に進んでいるように見えてしまうだけで、実際にはみんな苦労しているのである。

うちの研究室でも、最初の1本がやはり大変である。でもそれをクリアすると、恐ろしいくらい実力が上がっていく。ぜひともこの地獄の一丁目をクリアしてほしいと思っている。

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