2018年1月26日金曜日

論文不正と責任問題

大寒波が襲っている日本列島。SNSでノーベル賞受賞者である京都大学山中先生のiPS研究所が問題になっている。

山中先生が所長を務めるCiRA(サイラ)において、特任助教の方が米科学誌ステム・セル・リポーツに発表した論文に不正があったとのことである。測定データと実際にグラフ化したデータが異なるというものである。ようするに、データを都合のいい数値にしてしまったということである。

当人が処分されるのは当然として、問題になっているのは「所長である山中先生に責任があるのか?」についてである。この辺りが論文のシステムをわかっていない人によって、「なんでもいいから責任を取れ」という流れで報道されている。

当該論文については、山中先生の研究室の論文でもないし、論文の著者にも入っていない。

最近の学術論文は、一人の著者で論文を書くことが少ない。特に、実験系の研究では、様々な実験系・解析を必要とするため、著者が複数になることが普通である。10人、20人になることもある。

このうち、筆頭著者と責任著者がもっとも大事な著者になる。筆頭著者とは文字通り最初に名前を連ねる著者であり、責任著者は最後に名前を連ねることが多い。筆頭著者が複数になることもあるし、筆頭著者が責任著者を兼ねることもある。

今回の問題では、山中先生は所長ではあるものの、筆頭著者でも責任著者でもないし、論文の著者ですらない。ということは何かと言うと「出版前に論文を読むことはできない」

研究成果は大学などの所属機関のものなので、厳密には強権を行使すれば読むことは可能かもしれない。しかし、所長がすべての論文に目を通していたら、所長の業務など全くできない。それぞれの責任著者(通常は研究室の所属長、PIという)に責任を委ねるしかない。

反対に、所長が読んで論文を出版してはいけないと言われたらどうだろうか?所長に恐ろしい権力が集中することになる。所長がダメと言ったら、その研究者、研究室は成果を全く出せなくなるのである。こんなシステムが構築されたら研究機関の終わりである。

今回の件で山中先生が責任をとるとするならば、「所長は論文を差し止めることもできないけれど、責任はとらなければならない」である。講習会でも開いて差し止めることができるのならば苦労はしないだろうが。

所長のみならず、責任著者となることが多い研究室の所属長としても難しい問題である。あからさまなコピペや捏造は見破らなければいけないかもしれない。しかし、適度にばらけさせたデータを作られたとしたらを見破ることは非常に難しいかもしれない。どうしても検証したければ自分か他の人が全く同じ実験をしなければいけないし、そんなことをしていて論文が出版できずにその人が学位を取れなかったり、職を失ったりしたら、間違いなくハラスメントで問題にされるだろう。大事なデータの再検証は大事であるが、限界もある。

では、このような不正の時にどうすればよいかといえば、不正が見つかったらさっさとその論文を取り下げ(リトラクションという)、当人を処分して終わりにすることだと思う。記者会見なんて必要ないし、所長がでてくる必要もない。

ただし、分子細胞生物学研究所で起こった研究室ぐるみの場合には、研究室そのものの閉鎖があるので、所長がでてくることも必要かもしれない。しかし、それにしてもどうしたら不正がなくなるのかなど、「今後どうしたらもっと良くなるのか?」について議論すべきだろう。

政治家の例が一番顕著かもしれないが、問題が起こるとトップを辞任に追い込もうとする「切腹文化」は、日本の大きな問題であると思う。

ついこの間、作曲家の小室哲哉氏が不倫疑惑で芸能界を引退した。辞めざるを得ない空気が作られたが、責任をとるならば辞めるのではなく、「最高の音楽を作る」にしてほしいと思う。

今回のケースでも、こういう問題を解決して「どうしたら日本発のiPS研究がより発展するか」なんて議論が全然ない。有名人が辞めるか辞めないか、給料を返上するかしないかなどの話である。どのような選択をするにせよ、責任の取り方の議論を間違えていると思う。

「こんなことが起こったのだから、研究所一丸となってiPS研究を発展させ、病気などで困っている人々を救ってくれるんですよね?」

責任を取ってもらうならば、ぜひ頑張って人々を救ってもらいたいと思う。


◯分子細胞生物学研究所について 上に分子細胞生物学研究所と書いたが、こちらは東大付属の研究所である。通称、分生研(ぶんせいけん)と呼ばれている。

私は大学院の修士、博士はここに所属していた。

博士の学位取得後ですでに私は分生研にはいなかったのであるが、加藤教授そして渡辺教授と2つも大きな研究不正が起こったのがこの分生研である。ニュースを聞いた時は「耳を疑った」としか言いようがない。

加藤研究室は分生研でもっとも力のある研究室だった。研究室は40〜50人もの人を擁し、毎年のようにNature, Cellなどに論文がでる研究室であった。

ただし、厳しいことも有名で、毎年たくさん人が来てはたくさん辞めるという話は聞いていた。その当時は成果の要求が高すぎるのだと思っていたのだけれど、それだけではなかったのだと、このニュースで合点がいった。

当時所属していた学生からの話では、「先に論文が書かれていてデータを持っていく」なんていう話はちらっと聞いた。ただし、それは「それくらい論文の計画がきちんとしていて、理論構築ができている」という印象だった。専門が全く違うせいもあるが、中身はわからなかったし、当時も分生研内で加藤研が不正をしているという噂はなかった。

一方、渡辺研の話は最近のことであるが、こちらも衝撃であった。渡辺先生はちょうど私が大学院生の時に教授として移って来られた。日本の分子生物学業界の中心のような研究室の流れを汲み、分生研の中でもあまりにもすごい業績で光り輝いていた。成果のプレッシャーは凄そうだったが、正直、雰囲気もよさそうに感じた。すごい研究室だな、さすが日本の真のトップ、という印象だった。

渡辺研についてはすべての論文が不正という感じで、出身の研究者への広がりは比較的少ない。しかし、研究室が閉鎖されてしまったそうで、本当に驚きである。

これらは非常に目立った例であるけれど、論文を査読をしていると疑問を感じることも多々ある。

グラフの差が少なく、有意差がないという指摘をしたら、「データが間違いでした」といって、差が広がったデータをすぐに出してきた著者もいた。しかも、2つのグラフともに間違いだったそうである(当然リジェクトにして、その後のリバイスは断ったが、最終的にはアクセプトになったようだが)。

また、誤差の大きそうな分析実験を確信犯的に1回の実験(n = 1)で論文にしている人もいる。論文には試行回数(n数)は書いていない。当然エラーバーもない。

どちらも日本のグループの話である。

今回の山中先生のように、不正を指摘すると組織の問題になってしまうから問題がでてこないのだろう。不正をした人を処分して終わりにすれば良いが、「トカゲのしっぽ切り」のようなイメージを与えてしまい、組織のイメージダウンになるという世間体を気にしてのことである。また、全然関係の人々が時間と労力を取られることも問題である。

いずれにせよ、いかなる議論もさらに良い組織・システムを作るためにして欲しいと思う。そうすれば、おのずと議論することは決まってくるし、責任の取り方も違った形になると思う。

研究業界は任期制で働く人が多く、みんな苦しい中働いている。必要のないことを要求して、邪魔をしないで欲しいと強く願う。周りの人たちは科学とは直接関係なくても、科学の恩恵を受けることは多々ある。ゴシップのような間違った議論を発展させず、(知的好奇心の刺激も含めてだが)科学が人の役に立つよう方向に導いて欲しいと思う。日本は科学技術立国と標榜している国なのだから。

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