2018年3月12日月曜日

給料のことでちょっと追記

昨日まで、研究者の給料について5回にわたってブログ記事を書いていた。やはり給料のことは興味があるのか、いつもよりもアクセス数が増えていた

お金が一番大事ではないが、やはり生きていく上では必要なものである。口ではそんなに給料にこだわりはないといいつつ、やはり人々の興味の的であり、しばしば争いの種にもなる。

今は就職活動の時期なので、自分の会社の年収を気にする学生も多いと思う。就職後も年収の話題というものは常に付きまとってくる。

これまでの経験上、年収の高い人にはそれなりの共通点がある。

その一つは何かと言うと、「ケチでない人」である。「よく人におごる人」と言ってもいいと思う。

反対に、「人のためにお金を使うことを渋る人」は年収が低い傾向がある。

これにはいくつか理由があり、その1つは、「誰だってケチでずるい人には協力したくなくなる」からである。どんなにごまかしていても、自分のためにお金を使う人か、人のためにもお金を使う人かは見られており、ばれている。「今は苦しいから」と言う人は、何歳になっても変わらずに「今は苦しい」と言っている。いうまでもなく状況によるので一概には言えないが。ただし、苦しいと言いつつ、自分のためにはお金を使っていたりする人も多い。

他の理由としては、意識の問題である。若くして人におごるような人は、「自分は将来上に立つ」という意識や意欲を持っていることが多い(単に気前のいい場合もあるが)。若いうちから、上に立つ意識で日々を過ごしているので、自己研鑽に余念がない。

一方、おごってもらう人は、「誰かの下」という意識が抜けず、責任ある仕事から逃げようとすることがある。このため、大事な仕事を任せることができず、結果として給料が上がらないので、何歳になっても誰かの下という意識が抜けない。本人は自分のことを無欲や謙虚であると思っているのだが、上の立場からすると、大事な仕事を頼めないだけの人なのである。

ということで、別に年収をあげたいかどうかはその人次第だと思うけれど、自分のためだけにお金を使う人は、長期的には良い待遇にならないと思う。ただし、お金の使い道は大事である。誰でもよいからおごったりしても、たかられてしまうだけである。使うべき人、使うべきものを選別し、使い所をきっちりと考えることも重要であることは述べておく。

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