2018年3月23日金曜日

ゲームをやったその日には・・・

そういえば、年末年始に久しぶりにスマホゲームにはまった。20年以上前からあるゲームの続編であった。本当に久しぶりにやったけれど、基本的な操作は同じですぐできた。

とはいえ、である。ゲームをやってスッキリするかというと、スッキリしない。スッキリしないその気持ちから、そういえば、高校生のときもこんな気分だったことを思い出した。

私が幼稚園生くらいの時に、ファミリーコンピューターが発売された。いわゆるファミコンである。もはやファミコンなんて若い学生は知らないかもしれない。

ファミコンはいわゆる家庭用ゲーム機である。ゲームといえば、その昔はインベーダーベームに代表されるように、外でやるものであって、家庭でテレビゲームをするという発想はなかった。このファミコンの登場によって、家庭でゲームをすることができるようになり、世の中の子供たちの遊びが一変した。

その後、私が小学校高学年くらいにスーパーファミコンが発売された。これでさらにゲームのクオリティが上がる。さらに高校生か大学生くらいにはプレイステーションが発売され、ゲーム業界は、任天堂だけではなく多くの企業が参画する一大産業となっていったのである。

さて、こんな面白いものがどんどんと出てくるのに、ゲームをやらないはずはない。小学校から高校1年生までゲームばかりやっていた。高校2、3年生は受験のためにあまりゲームをやらなかった気がする。そして、受験が終わってから少し再開してみたのだけれど、なんか飽きてしまい、それ以降はずっとやることはなくなってしまった。

ゲームへの熱中があまり続かなかった理由の一つとして、高校生の時までゲームをたくさんやり、自分の気持ちを考えて気づいたことがあったからである。

高校生ながらに感じていたことに、「ゲームをやったその日を振り返ると、1日の終わりにもやもやした気持ちが残る」というものがあった。

当たり前だけれど、高校生ともなれば大学受験が気になる。忘れようとしても、毎日どこか心の中に引っかかっている(本当はメリハリをつけて忘れた方がよいのかもしれないが)。

ゲームをやればその時は楽しいが、1日の終わりに「今日は勉強せずに終わってしまった・・・」という後悔が必ず残ってしまった。当然勉強していないので、成績にプラスなはずもなく、将来が明るくなるはずがないことは自分でもわかっている。

逆に、おもいっきり勉強した日は、大変ではあるのだけれど「今日はたくさん勉強した!」とすっきりして1日が終わるのである。当然たくさん勉強すれば成績も上がり、将来につながることは高校生でもわかる。

ということで、毎日ゲームをしてもやもやした後悔を持ってしまうくらいならば、むしろ勉強した方がスッキリするという結論に至った(だからと言って、毎日やる気で勉強ができたわけではないけれど💦)。

この考えは今でも役立っている。

「勉強」に限らず、「大変なことだけれど、やれば将来につながるもの」をやらずに放っておくことは、精神衛生に非常に良くないのである。

これは研究業界でいえば「論文を書くこと」や「新しい実験手法にチャレンジすること」だと思っている。

論文を書くのはとても大変だし、書いて投稿したらリバイスでたくさん批判をされてリジェクトされたりする。何年も通らないと、共著者(特に学生と教員など)の関係がぎくしゃくすることもある。なので、つい論文は後回しにして、実験ばかりをしてしまったりする。

また、新しい実験を覚えるのも誰かに聞いたり予定を合わせたりといろいろ大変なので、ついすでに自分が身につけた実験ばかりを繰り返してしまうことがある。

しかし、実際には研究業界では論文を書かなければ成果とは呼べないことが多いし、新しい実験手法を覚えていくことも大事である(ただし、必要になってからでよいと思うが)。

論文書きや新しい実験に挑戦していると、大変ではあるが、やらなければいけないことに挑戦しているし、一歩ずつでもものごとがよい方向に進むので、挑戦している人は多かれ少なかれ充実した顔をしている。

反対に「忙しい」、「体調が悪い」、「家庭の事情で」、「私の将来には必要ない(と信じたい)」など、外部要因を持ち出して挑戦をしない人の顔は、一様に暗い。みなどこか満たされない顔をしている。

環境バイオテクノロジー研究室に入ると、実験をしながらでもとにかく論文を書き進めなさいと言われることになる。論文を書くと研究計画がブラッシュアップされるという理由はもちろんのこと、実は精神衛生の面でもプラスであると考えているのである。

いうまでもなく、徹夜などをして書いたら体調が悪くなってしまうので程度問題であるが、必要なことに挑戦しないと精神的につらくなってくるというのがこれまでの経験である。

また、論文を書いている最中においても、必要な実験や論文読みを避けてしまいたくなる。早くアクセプトしてよと叫びたくなる。しかし、こちらも実は挑戦してしまった方が精神的に安定するし、いうまでもなくアクセプトされる確率が上がる。

たまにはゲームなどをして遊んだり休んだりすることはとても大事である。しかし、新しいことや必要なことに挑戦することは、実は遊ぶこと・休むことと同じくらい精神衛生・心の安定に必要なことであると思っている。

この記事を読んだら、ぜひ自分の現在の気持ちを考えて欲しい。もし、現在あまりよい精神状態でないならば、1) 遊んだり休んだりすることが足りない、2) 新しいこと・必要なことへの挑戦が足りない ということはないだろうか。

心の問題なので、そんな単純にはいうことはできないだろう。遊んだり休んだりしなければ、心の状態が悪くなることはもちろん知られているが、実は2)のように挑戦しないことが原因の場合もあると思っている。ゲームに1日を費やしてしまった自分を振り返ると、まさにそれに当てはまるのである。

また、研究界隈で、暗い顔をしている人、不満を抱いている人には、働き過ぎの人もいるが、実は2)のパターンも結構多いと感じている(統計的なものではないし、本当にはわからないので感じているとしか言えない)。

遊びや休みを多くとれば精神状態がよくなるかというとそんなことはなく、遊び・休みと挑戦のバランスをうまく取ることが、心のバランスに重要であると思っている。

久しぶりにゲームをやって、そういえばと高校生のときに気持ちを思い出した。ゲームをやっていけないわけではなく、適度に使うべきだという当たり前の話。心の問題なので、科学的に正しいとか正しくないとかは言えないのだけれど、こんな考え方もあるというのが今日のブログ記事である。

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