2021年6月29日火曜日

論文の指標は廃止?No.2

昨日のブログの続き。


論文の雑誌の指標の話。現在は、インパクトファクターという掲載論文の引用数・引用頻度の多さが、雑誌の格付けに使われている。しかし、様々な要因からインパクトファクターは批判を受けている。


こうして批判を受けて、インパクトファクター以外の指標を作る人もいる。


もういったいなんの指標だったか忘れてしまったが、アイゲンファクターという雑誌の指標もあった気がする。なんだっけ・・。


他にもSite Scoreなどいろいろあるらしいが(いま調べた・・)、正直まったく話題に出ない。


あとよく出てくるのが、h-index(エイチインデックス)。こちらは比較的聞く指標である。


h-indexは、研究者個人の指標。論文ではなく研究者個人の値である。


説明がややこしいが、こちらも論文の引用数がベースになっている。ただし、引用される論文の数が大事で、1本だけめちゃくちゃすごく引用された論文があっても、この値は上がらない。


また、著者の重み付けがないので、筆頭著者・責任著者の重要性が反映されていないのが、最大の難点だと思う。なので、ビッグプロジェクトの一員だと勝手に上がったりする。


また、セルフサイテーション(自分で引用すること)も制限されていないと思うので、短い論文をたくさん書くと必然的に上がっていく。とてもハックしやすい指標である。


ということで、指標については結局難しくて、何を使ったら良いかはどれも微妙である。


そして、こういう話になると必ず「論文は中身である」という結論になる。これは素晴らしいし当然だと思うが、特に若手には警告しておきたいと思う。


何を警告したいかというと、論文が中身のみだとすると、評価の時に上の一存で決まってしまう可能性が大きくなることである。

ようするに、人事採用や予算の審査の際に、評価者の好き放題になるということである。だって、どの研究が素晴らしいかはとても難しく、それぞれ面白さがある。そうすると最後は、上の判断・好みで決まってしまう。

それが本当に中身ならば良いけれど、結局のところ人の好き嫌いに置き換わることも少なくない。



生物系だったら有名雑誌があり、たとえばCellというトップ雑誌がある。現在だったらCellに筆頭著者論文を掲載した人と、全く聞いたことのない雑誌に筆頭著者論文を掲載した人が採用や審査に応募すれば、ほぼ間違いなく前者が勝つ。

しかし、もし雑誌の評価がすべてフラットになってしまうと、評価者が「こちらの方が実は中身がすばらしい」と判断して、後者が勝つ可能性が出てくる。

繰り返すけれど、それが本当に研究の中身の問題ならば良いと思う。

しかし、実際には自分の気に入った人をプロモートするとかとか、逆に気に入らない人を落とす際の言い訳に使われてしまう可能性が出てくる。

なので、ある程度の平等性を保つためにも、少しは指標を残しておかなければと思っている。いろんなものを見てきた40代からの忠告として、「論文は中身だ」と言っている方々(特にこれからの若手研究者や大学院生)は、この危険性を覚えておいて欲しいと思っている。





なんかめちゃくちゃ暗いブログ記事を書いているようだけれど、日曜日に美味しいジュースを飲みながら書いてます。少し覚えておいて欲しいと思ったので・・

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