この間のツイート。
https://twitter.com/osanai_meiji/status/1404545287088001027
今週月曜日の朝に出勤したら、居室のエタノールが補充してあった。週末に誰か実験したと思うので、その人が次の人のために補充しておいたのだと思う。朝から気持ちよく働くことができた。
これは誰かが善意でやってくれた。
研究室を運営するものとして、こういう行為をちゃんと評価しなければならないと思う(と言っても、今回は誰かわからないけど・・)。
ただし、あまり善意に頼るのは良くないのが、研究室を運営した経験である。
研究室を立ち上げて最初の1、2年は、ルールが少なく、まさに善意だより。試薬の補充、実験器具の準備や片付け、ゴミ捨て、掃除など、気付いた人がやるという方式だった。
しかし、これだと当然偏りでる。いつも同じ人がやり、やらない人は全然やらない。
やらない人も、単に面倒だという人もいるが、多くはやり方がわからないのでなんとなくやらないで過ごしてしまうという人が多いことがわかった。なので、やはりある程度ルールで縛らなければいけないことがわかってきた。
ルールがあると息苦しいのかと思っていたのだけれど、実際にはそうでもなく、むしろ楽なことが多いことがわかってきた。
例えば廃液を処理するのだって、なんのルールも決まっていなければ、誰がやるのか?いつやるのか?どのくらい貯まったら処理するのか?誰に聞いてやるべきなのか(先生なのか、先輩なのか?)などいろいろな人と話して決めていかなければならない。
しかし、例えば「当番が、月曜日の朝にそれまで溜まっている廃液をすべて捨ててください。」と決めてしまえば、あとは少しの作業をするだけである。
決まっている作業をするのは、人間それほど辛くない。一方で、何をしたらよいかをいろんな人と話して定めていくことはとても大変である。
ということで、ルールがあった方がむしろ楽になることも多いことがよくわかってきた。こちらは同じ学科の先生から教えてもらったことでもある。
このように、一見面倒なルールであるけれど、実はルールで縛られた方が良いことある。ただ、すべてルール化することは難しいので、ルール化できない部分は今回のように善意に頼ることになる。そして、そういうきちんとやってくれる人を、上がちゃんと評価することが、上としての仕事であると思っている。
研究室運営も常にトライアンドエラー。。常に失敗を検証して改善しながらやってます。。でも、みんな驚くほど自立的にやってくれているので、全然楽です。。
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