論文の査読を定期的にしていて感じることは・・・
欧米の研究者は、論文の査読(レビュー)に対してタフである
ということである。
ここでのタフの意味は、査読コメントに対して、粘り腰で交渉して、なんとかアクセプト(採択)にしようとしてくることである。
論文を投稿すると、他の研究者が審査する。審査の結果すぐにアクセプトということは非常に少ない。追加の実験などを要求され、それが何ヶ月、下手すると1年くらいかかりそうな要求すらある。これが科学の論文の大変なところである(慎重さによって正当性・正確性を担保するので、悪いこととも言えない)。
最近はかなり要求量が増えていて、コメントを見ただけでうんざりしてしまうことも多い。こんな要求に答えるなんて無理だと思ってしまうことも、ほとんど毎回と言ってもいい。
しかし、審査をしていると、欧米の研究者はとても粘り強いなと思う。
別に彼らはすべての要求に答えて実験をするわけではない。むしろ、「その要求は間違ってはいないが、今回の論文ではその実験は要らず、なぜなら・・・」
と、極めてロジカルに要求に答えない理由が書いてある。もちろん、最後に「それも重要だと思うけれど」「今後の課題としたい」なども書き添えてある。
自分も含めて、わりと日本人は「もう無理!このレビューアーひどすぎ!」とか感情的になることがある。いや、過去の自分が完全にこのタイプ。
そして、レビューと戦わずにやめてしまったり、相手が間違っているみたいな喧嘩腰の反論を書いたり、さりげなく相手のコメントを無視した返事を書いたりする。3つめのさりげなく無視は結構多いが、これはかなりマイナスである。
ということで、査読をするたびに、欧米研究者の粘り腰には感心する。必ずしもいいことなのかはわからないが、ロジカルに反論する部分は真似したいと思っている。
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