2020年1月28日火曜日

洋服売り場の衰退から考えるSNSで気をつけたいこと

今に始まったことではないけれど、何かのきっかけでツイッターのTL(タイムライン)はとても荒れる。特に、職、お金、性別に関することは荒れる。

いろんな意見があるだろうけれど、自分が若かりしときのことを思い出してみると・・・

意見が正しいとか正しいの前に、上の人たちが煩すぎるのはただの迷惑だったと思う。正しいとか正しくないとかは重要ではなかった気がする。

みんなそれぞれ意見を持っている。別に上のたちに言われなくたって自分の考えがあるし、そしてそれは人それぞれである。

建前としては、個人の多様性を大事にとか、議論を深めようとか言う。でも、結局、人は自分と同じ意見を求めている。ツイッターでどの意見にリツイートやファボをして、どのアカウントと接しようとしているかを見れば一目瞭然。現代は、そういうところも可視化できてとても便利である。別に同じ価値観の人たちが固まるのは悪いとは思わない。

しかし、いつの間にか人に意見を押し付けようとしている。第三者的に見ているととてもよくわかる。

SNSを始めてだいぶ経った。自分としては、面倒な話題には頑張って触れないようにしている。このブログやツイッターも、説教がましいことをだんだんと減らしている。繰り返すけれど、正しいとか正しいの前に自分で考えるからほっといてくれと思っていた自分を思い出したのも理由の1つである。

押し付けがましくて衰退したと言えば、何と言ってもデパートの洋服売り場を思い出す。アパレル系のデパートは、いつ行っても空いているし、どんどん空き店舗になっている。東京の一等地でなぜ?と本当に不思議である。



自分は若い頃洋服が好きで結構買っていたのだが、とにかく店員がうるさかった。何をお探しですかとか、今はこれが流行りですとか、今日はお休みですかとか・・・

とにかく、静かに服を見させてくれという感じだった。今でも、店員がうるさいとすぐに出てしまう。

別に今の流行とかどれとどれが合うとか、正しい意見だったとしても別に欲していない。正しい情報だからいつも必要とされているとは限らないのである。それがベストではなくても、好きに自分で服を選びたいのである。どうしても情報が必要な時は、放ってほいてもこちらから聞く。

洋服は好きであったが、こういうのが面倒になってうるさい店には行かなくなった。その後、バーバリーのブラックレーベルを愛用していたが、それはこの店は比較的昔から店員が良い距離を保っているからである(でも、最近は質が落ちたので買う頻度が減った・・)。

なので、正しいことを言ったり、議論の上、素晴らしい結論が得られたととしても周りがそれを必要としているとは限らない。若かりし頃の面倒だった気持ちを忘れ、いつの間にか、自分では気づかずに、相手に押しつけがましくなってしまうのではないかと思う。

現在2人の子育てをしているが、子供が大きくなるにつれ、まさに子育てもそのようになっていくと思う。親のできることは、居場所を用意し、困らないように衣食住を供給し、どうしてもの時に出ていくくらいではないかと思う。あれこれしてあげたいけれど、結局面倒くさがられることだろう・・

職場でも同じ、いやなおさらで、結局はインフラ(職場環境、働く目標、給料)をしっかり整備して、どうしても困っていそうな場合やこの先絶対に失敗しそうな時に出ていくくらいなのではないかと思う。

ということで、ツイッターやらブログやらで発信しまくっているのに何を言っているのかという感じだけれど、正しいとか正しくないとかではなく、若者の邪魔にならないことが大事だと思っている。そしてそれは、頑張らなければできないことだと思っている。

研究室配属されたら、情報の取捨選択が非常に重要で、先生(自分)の言うことも間違っていそうだったら聞かなくてよいと言っている。うーん、なんか矛盾で禅問答のようではある。情報はうまく伝えつつも、相手にとっていかに邪魔にならないか。それが自分の仕事だと思っている。

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