どのような社会でも、周りの人と自分を比べてしまうのが人間。
小学生時代から足の速さや鉄棒のでき、絵のうまさなどを比べ、中学生以上になれば偏差値や容姿などを比較する。
大人になっても、学歴やら資格やら会社名やら年収を比べ続けている。
研究者も科学のことばかり考えているかというと、全然そんなことはない。
誰々より論文が多いとかいいジャーナルが少ないとか、そんな話ばかり耳にする。表向きは「研究は中身が勝負」と言っていても、実際は出版した論文の数と論文雑誌の格を、人と比べまくっている人は少なくない。
ポストなどを争っている場合には、まあ、致し方ないかもしれない。周りの研究成果を把握し、自分の成果と比べることで自分のキャリアを計算することができるので、一概に悪いこととは思わない。
一方で、すでに身分が安定していても、延々と人と比べている人も少なくない。正直、比べてどうするのと思うのだけれど。
こうしたライバル心は、おそらく一生消えることがない。人と比べてしまい、心が落ち着かなくなるのは、きっと人間の性なのではないかと思う。
では、こうしたライバル心を制御するにはどうすればよいだろうか。
研究計画を立てる時、キャリアパスを考える時にいつも言っているのだけれど、それは「すべてが上手く行った時のことを考える」とよい。
例えば論文数とジャーナルの格で誰かと争っている人は、自分が、今抱えているテーマでNatureを出して、さらに来年次のテーマがすぐに当たってScienceを出してしまったとでも考える。いわゆる「研究の競争」では、きっと想定するライバルに勝つことだろう。
そして、その上で、何が起こるかを想像してみる。
上で述べたように、ポストや研究費を直接的に争っているならば、自分が採用されるなどの事象が起こるかもしれない。
しかし、実際にはそのように直接的に争うことは、そんなにない。ましてや安定した身分になったら、さらに少なくなる。
ようするに自己満足の問題で、なんか相手に勝つことをやらなければいけないと思っていたけれど、相手に勝ったところで何もなかったということに気づく可能性が高い。
ということで、子供の頃から体育やら勉強の偏差値やらで植え付けられた競争心を持ち続けていると、単に日々疲れるだけで、うまくいってもたいしていいことがないことが多い。冷静に考えればわかるのだけど、習慣化されてしまっているので、人と比べてしまうことから脱却することはとても難しい。
心の制御方法は色々あると思うけれど、本日はライバル心の制御方法でした。
過剰なライバル心。自分を高められればよいけれど、疲れることも多い。。
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