2019年2月2日土曜日

コミュニティを選んで生きていく。No.3

コミュニティを選んで生きていく。No. 3である。

大学院の時代の話。

大学院の研究室は、ごりごりの分生物学。個人の研究テーマ。個人でやっていかなければいけないので、もちろん大変ではあったけれど、すごく楽しかった。いや、死にそうだったけど・・・。比喩ではなく、大変で死にそうだった・・・。

それはさておき、少なくとも、自分の研究ができるという、当たり前のようだけれど当たり前ではない良さがあった。

そして、大学院で博士号取得後は、学振の特別研究員、いわゆるポスドクとして別の研究室に移った。

この際には、研究テーマは少し変えつつも、大学院のテーマの継続に近かった。まだまだやることがいっぱいある!という感じだったので。なので、分野の近い先生のところに応募して採択された。学振だったので、自分で研究を自由にできるところもよかった。

しかし・・・である。ここでもいくつか問題が生じる。

優秀は人々が集まっていて良いラボではあったのだけれど、自分で持っていくテーマなので、研究室のボス(PI)のメインではない。ようするに、あんまり興味がなさそうだった。。

あと、当たり前だけれど、各研究室にはそれぞれの研究スタイルというか主義みたいなものがあり、とても勉強にはなったのだけれど、昨今の任期付きの研究者にはつらいスタイルだった。

何が辛いかというと、教育重視だったので(それは素晴らしいことだと思うけれど)、週1回は5時間くらいのゼミがあって、学生の研究を聞かなればならなかった。また、例えばシークエンスなどの外注はだめなど、教育重視だったので、アウトプットを次から次へと出して職をつなげていくには、やや辛い状態だった。

また、このころ基礎の分子生物学から応用へと展開しようと思い始めた頃だったのだけれど、応用に対する反発も大きかった。内部の研究会では、「役に立つなんて言わずに、自由に研究をやりましょう!」とい意見で全会一致だった。2007年の学会で、今につながる転写制御因子による代謝工学の話をしたが、反応してくれた人はたまたまその会に散開していた味の素の方だけだった。

ちなみに、これが10年と少し前の話でシアノバクテリアの分子生物界隈は応用反対の人が多かったのだが、そのあと欧米発のバイオエネルギーブームが来て、微細藻類の応用展開がもてはやされると、みんなして手の平を返して応用の看板を掲げ出した。今考えても「大人って適当だな・・・」と思うが。一言で言うと、かっこわるいなと思った。


こういうコミュニティにやや嫌気がさし、さらに大学院からシアノバクテリアを続けてきて「そろそろ飽きてきた・・」と感じていたので、コミュニティをがらっと変えることにしたのが次の展開である。これから語るが、の展開がなければ今PIになっていることはなかったと思う。振り返ると、自分は判断が早く、出会いにはとても恵まれている人間だ・・・。

No. 4に続く。


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