コミュニティを選んで生きていく。No. 4 。
2つ目のポスドク選びの話。
2007年に博士号を取得し、学振特別研究員になった。任期は3年間。しかし、そろそろシアノバクテリアの分子生物学一辺倒にも飽きてきていた。また、一貫して転写制御、代謝制御メカニズムだったので、それにも飽きてきていた。
さらに、応用研究を認めるようなコミュニティではなかったので、その辺もそろそろ別のところに行こうかな?という動機になっていた。もちろん、学振の任期が3年なので、常に次を探さなければならないという事情もあった。ほんと、任期短すぎる・・。
次を常に探している任期付きの時だけれど、ポスドク1年目の終わりに、のちに所属することになる理化学研究所旧植物科学研究センター(現環境資源科学研究センター)の平井優美先生の集中講義があった。平井先生は、高等植物の代謝研究で、かつ、メタボローム解析の専門家である。
これは大学院生向けの講義なのだけれど、ポスドクで紛れ込んでいた。。もともと自分は光合成の代謝研究だったので、平井先生の高等植物と自分のシアノバクテリアの違いはあるが、分野としては近いものを感じていた。
そして、講義を聴いたあと・・・・その場で、「応募させてください!」と言っていた。
これにはいろいろな訳があるが、一つにはシアノバクテリア分子生物学の研究コミュニティの流れの問題があった。
今の人たちからは信じられないかもしれないが、ほんの10〜20年前まで、シアノバクテリア研究は、日本がトップであったと言っても過言ではない。
1996年にかずさDNA研究所の田畑先生が全ゲノムを決定した。その後、基礎生物学研究所村田先生を中心とするトランスクリプトームの立ち上げ、さらには遺伝学研究所中村先生を中心とするCyanoBase、京都大学金久先生を中心とするKEGGとの連動、元かずさDNA研究所佐藤先生による網羅的ツーハイブリッド解析・・・などなど、日本が世界に先駆けて、ゲノム、ゲノムデータベース、トランスクリプトーム、プロテオーム(タンパク質間相互作用)まで進めていた。
これは本当にすごいことだと思う。
しかし、ちょうど自分が学位を取った2007年くらいにシアノバクテリアの中心であった基礎生物学研究所村田先生が退官になった。村田先生はシアノバクテリアの研究者であり、多くの有力な研究者を集めることができるコミュニティを作れる方であった。ところが、村田先生の退官にともなって、次のプロジェクトが難しくなってしまった。
どこで詰まったかというと、シアノバクテリアの分子生物学コミュニティは、次のメタボローム解析に進めなかったのである。メタボロームは、べらぼうにお金がかかるので・・・。
研究コミュニティのこんな流れを感じているところだったので、平井先生のメタボローム解析の話を聴いた瞬間、「よし、ここに行こう。」となったのである。
平井先生には講義が終わったあとに、いきなり話しかけ「基礎特研を受けさせて下さい」と言った。基礎特研とは基礎科学特別研究員の略で、理研独自のポスドク制度である。
理研独自の学振制度といえばわかりやすいかもしれないが、外部資金で雇用されるのではなく、自分で研究室を選び、書類審査と面接をクリアすると、自分の給与と研究費がついて、その研究室で独自の研究ができるという制度である。自分で給与を引っ張ってくるので、応募先の研究室に雇用原資があるかを気にする必要はない。
いきなり話しかけて、「ぜひ平井先生のところを志望して、基礎特研を受けさせてください。いやいや、基礎特研に受かることはそんなに難しくないんで。。」とか偉そうなことを言っていた気がする。うーん、若いって、素晴らしい(苦笑)。さぞかし不審人物に映ったことだろう。。
その後、学振の任期は3年だったのだが、3年目は理研とも行ったり来たりしながら研究を進めていた。学振の任期3年が終わり、最終年度に基礎特研に受かったので、2010年から基礎科学特別研究員として、理化学研究所の平井先生のところへ移ることになった。
ちなみに、学振の2年目から基礎特研に応募していて、その年の基礎特研は補欠で不採択だった。上記の偉そうな発言をしておきながら、落ちたのである笑。まあ、研究者ってどこか楽観的な人が多い気がするが(主語を大きくすると怒られるか・・)、自分もそんな感じである。。
そして、この時の応募テーマは、シアノバクテリアではなく、高等植物のシロイヌナズナだった。こうして、微細藻類の研究からは一旦離れることになる。
No. 5に続く。
0 件のコメント:
コメントを投稿