昨日は、子供と公園でサッカー。気持ちのいい天気だった。
ところが、マスクを忘れてしまい、まあいっかと過ごしていたら、花粉で喉が痛くなってしまった。ヒノキの季節は喉が痛くなることが多い。ネットなどで調べると、ヒノキによって、喉の痛みを訴える人が多いらしい。自分もそのタイプである。
普段はアレルギーの薬とマスクでそれほどではないが、こうして症状が出てくると、その大事さにやった気づく。こうした感覚は、環境問題やワクチンの問題に影を落としているのではないかと思う。
ワクチンについては、反対派が根強いらしい。自分がかからなければいらないので、そのありがたみはわからない。しかし、たまたまかからなかったかもしれないし、そもそもかからなかったのも周りの人がワクチンを接種しているからかもしれない。
しかし、自分がかかってみないとそのありがたみを実感できないのではないかと思う。病気が治ると感謝されるが、病気にならないと誰も感謝しないのである。
環境問題もこれと同じで、現時点では資源もあるし、二酸化炭素濃度が上がったからといって生活できないわけではない。ゴミ問題もまだ捨てる場所はある。まあ、外国に捨てているだけかもしれないし、海に流れてマイクロプラスチックになり、とっくに体内に入っているかもしれないが。
こういう分野は、「うまくいくと誰も気づかない」のが難点である。誰も気づかないので、研究開発などはいらないのではないか?と思われてしまう。
環境技術開発にそれほど力が向かないのは、実感があまりないからではないかと思う。きれいな日本に住んでいると、解決したのではないかとすら思ってしまう。
しかし、実際には資源を高いお金で買っているのが日本であるし、ゴミ問題なども目をそらしているだけではないかと思う。
一刻も早くすごい技術を開発したいところだけど、研究はそんなに早くは進まない。幸い自分は持続的に研究できる身分になったが、そうでない人も多いと思う。
継続的に環境技術の研究を続けることに理解をと言いたいところだけれど、上記の理由からなかなか難しいと思う。
頑張って稼げる技術を開発しながら研究を続けるしかないだろうか。非常に難しいところである。
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