2018年6月16日土曜日

ランクづけからは逃れられない。

人と比べられることで、人は非常に傷つくことがある。「比較は暴力」という言葉もあるくらいである。

一方で、人は、比較すること、批評をすること、ランクづけをすることが大好きである。そして、多くの場合、他人は自分にとって都合の良い指標で比較しようとしてくる。どうでも良い指標でマウンティングされるととても腹がたつものである。

総選挙やランキングなどはメディアのコンテンツのみならず、比較、批評、ランクづけは、会社、学校、研究などなど、いたるところに存在する。営業成績なんて直接的に比べられるだろうし、研究を発表する雑誌もインパクトファクターで数値化されている。そんなわかりやすい数値でなくても「あの人は○○だ」という批評は、いつでも酒の肴、ティータイムの話題の種だろう。小学生だって、足の速さや偏差値を比べている。

なので、社会で健全に生きていくためには、他人からの比較、批評、ランクづけにうまく対応・適応する必要がある。避けることは難しいと認識してしまったほうが良いと思っている。

対応策で一番簡単なのは、いつも賞賛を受けるくらいの実力と実績をつけてしまうことである。けなされたり下に見られる点がなければ腹も立たない。当たり前だが。

ただし、そうはいってもそんなにすぐには実力と実績は手に入らない。若ければ若いほど難しい。

その他の対応策としては、人の比較、批評、ランクづけに慣れてしまうことである。

勝手に比らべられて下に見られると、とても腹がたつものである。しかし、冷静に考えると、その比較や批評、ランクづけをされたからといって、自分の人生にはほとんど影響がないことがわかる。気分は悪いかもしれないが、逆に言えばそれだけである。

そうやって比較、批評、ランクづけを受け続けていると、だんだん何も感じなくなってくる。そもそも自分のやるべきことに集中をしていればそんなことを気にしている時間はないし、気にしているとしたらそれは是非とも改善しなければいけない。

ということで、比べられることでとても傷つくことがあるが、比較、批評、ランクづけされたをうまく対処することは、生きていく上で身につけるべき大事な能力だと思っている。

なかなかそんな悟りを開く境地に至るのは難しいのだけれど、少なくとも人間は比べるのが大好きな生き物であるので、相手を変えようと思わずに、自分で対処法を作るのが良いのではないかと思っている。

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