論文の査読(Review)は定期的に廻ってくる仕事である。査読とは、要するに人の論文の審査のことである。
この査読は、別に義務ではなく、報酬もなにもない。報酬なしの仕事の割に、出版社は読者からも著者からもお金を取る。いつも研究者が文句を言うところである。
自分の場合、論文の査読は結構甘めだと思う。最近は、1つの論文に膨大な量のデータを要求される。有名な雑誌であるCellの論文をみていると、Figure 1がAから始まりLとかNとか10数個のグラフや写真から構成されていたりする。それって、1本の論文はないかと思うくらいである。
論文の著者が最も苦しいのは審査の後のリバイスの時である。リバイスとは、レビューアーが論文の修正や追加などを要求することだが、中には1年くらいはかかるのではないかという実験を要求されることもある。
そして、それらを追加したからと言って論文が通るわけではなく、場合によってはその後リジェクト(不採択)になることもある。正直絶望的なことであるが、別に珍しくはない。
こうしたことから、自分は過度な要求はしないようにしている。
しかし、それでも審査の時にリジェクトをせざるをえないこともある。それは主に2つの理由である。
1. データが怪しい
これは言うまでもない。どう考えてもおかしいと思えるならばよいが、結構難しい。
例えばn数なんかをあえて書かないでいるような論文もある。多分再現性ないんだろうなと思う。もちろん、査読で要求する。
また、検定をしないで差があるというのも指摘する。そんなに厳しいことを言っているわけではないので、明らかにおかしい時に指摘する感じである。
2. 先行研究を無視している。
科学とは何かといえば、新しい発見をすることである。
何を当たり前なことを、と思うかもしれないが、新しい発見とは、これまでに誰も発見していないということである。つまり、誰もやっていないかをきちんと調べなければいけないということである。
誰かがやったことを見つけるのは簡単。しかし、誰もやっていないことを見つけるのは難しい。周辺の論文を全部調べて初めて、まだ誰もやっていないことがわかるからである。
なので、自分が知らないこと、調べきれていないことを新しいこととすることは、科学の中ではやっていけないことなのである。
正直、これは結構多い。調べないで、これは新しいです!というのは簡単だからである。
ということで、査読はそんなに厳しくないが、この2つに当てはまる時にはリジェクトしている。
後者の点はとても重要である。
論文に限らず、ビジネス、サービスでも既存のものがあるのに、「全然ない!(だから自分のやっていることは新しくて重要)」と言っている人は結構見かける。しかし、先行しているものから目を背けても残念ながら新規性は認められず、事態は悪化する。
論文を執筆したり、査読したりすることで、科学以外のことにも思いを馳せているのである。
今日は真面目な話。先行研究はきちんと調べましょう。。
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