2019年5月28日火曜日

「巨人の肩の上に立つ」ことと「自分しかやっていません」という研究について

珍しくもう1つブログを更新。
研究を進めるにあたって、勉強と実験のバランスを取ることは、最重要項目の1つである。

せっかく一所懸命実験をしても、誰かがもっと優れた形で同じような研究をしているかもしれない。予め勉強をしておかないと、大変に労力のかかる実験が無駄になってしまうこともある。

こうして先行研究があったりすると、悔しいという感情を持つ場合もある。他の人が近い分野で論文を書くと敵に見えてしまうことがあるが、実際には少し違う。

他の人が論文を発表してくれているということは、すなわちその研究はしなくてよいということである。そして、その先の研究をすればよいということである。

こうして科学はどんどん発展してきたのだと思う。もちろん、同じ目標に向かって勝った負けたの競争心で進んだ点もあると思うけれど。

先人の知識を利用する表現としては、「巨人の肩の上に立つ」という言葉がある。Google scholarをひらけばトップに出てくる言葉でもある。先人の知識をベースに、その先の研究を進めることができるということである。


今は学振特別研究員などの応募の季節でもある。こういった申請書を作成する時には自分の研究を見つめなおして今後の研究計画を書く。

こうした書類には、しばしば自分しかやっていません!」という類の言葉が使われる。申請書に限らず、自分の研究の独自性をアピールするためによく使われる言葉だと思う(自分もよく使っている)。

自分の研究を説明するためには研究の独自性を強調する必要があるので、「この生物、遺伝子、酵素、目的物質、研究手法は自分だけしかやっていません!」とついつい書いてしまう。

研究を進めていく上でも「自分しかやっていないので、苦労している・・」というセリフは結構よく耳にする。苦労しているという割にはドヤ顔なことも結構多い。

しかし、研究は巨人の肩の上に立つもの。本当に自分しかやっていないということは、全ての実験を自分でやらなければならないことを意味する。

それはすなわち、自ら「研究があまり進みません」と宣言をしてしまっているに等しい。

ごく一部の大天才はそれでも切り開けるかもしれない。でも、一般的なケースでは、自分で全部やろうとするとたくさんの研究成果が得られない。自分で全部の研究をしなければいけないから当然であると思う。そしてその前に、独自性アピールで終わっている申請書は通りにくいと思う。

こういうことを言うと、「それでは新しいチャレンジができないか!」と言われるかもしれない。しかし、それはバランスの問題で、自分しかやっていない部分を大事にしつつも、参考にできる先行研究がたくさんあることをアピールすることがベターであると思っている。オリジナリティを持ちつつ巨人の肩の上に立つことで、とても研究が進む。鬼に金棒である。

ということで、ついつい「自分しかやっていません」と言ってしまいたくなるのだけれど、自分の研究をより進めるためには、先行研究の多さも大事だと思っている。たとえその生物を自分しか研究していなくても、他の生物と類似性を見出せばよいので、本当の意味で先行研究がないということは少ないと思っている。

と、ここまで偉そうに書いたが、結局自分の申請書も見返すと、独自性アピールで終わっている気がする。。。💧

なので、このセリフを、誰かが定期的に自分に言ってくれるととても助かるのだけれど。。。次の科研費申請の時まで覚えているかな・・・。

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