リバイス(Revise)とは、日本語にすると改訂・改稿である。
論文を書いて、ジャーナルに投稿する。そのまま採択(アクセプト)になることはほとんどない。最終的に採択になった論文でも、最初の判定は基本的にはリバイスであることが多い。リジェクトの場合もある。
論文をレビューアーが審査をして、「この部分が間違っている」、「この実験が足りないのではないか?」と指摘してくる。一般的に2人、3人がレビューアーになり、論文の足りない点、間違っている点、改善点などをたくさん指摘してくる。
これに対し、Point by point Response、一問一答と訳せばわかりやすいかもしれないが、すなわち、すべての指摘に対して1つずつ返答していかなければならないのである。
誤字脱字だったら直せば良いが、リバイスの本質はそこではない。
「◯◯変異株を作ってXXの実験をしないと証明したことにはならない」と言われれば、新しい変異株を作製するところから始めなければならない。
また、テクニカルに不可能な実験を言い渡されてしまい、途方にくれることも多い。
言われたことをすべてやらなければいけないわけではないが、少なくともなんらかの返答をしなければならない。
最近はあまりにもリバイスの要求が多すぎて、追加実験などで1年以上かかるリバイスも珍しくなくなってきた。論文が採択される頃には、「いったいいつのデータだよ、これ?!」状態である。
ちなみに私の昨年(2017年)に出版したシロイヌナズナの論文では、コアとなるデータはなんと2009~2010年くらいのものである。2015年に明治大学へ異動したのでそのせいもあるが、それにしても、である。
この論文では、他の雑誌でリバイス実験(追加実験)を2015年~2017年くらいまでやっていた。そう、丸2年間くらいである。
そして、ついに通った!・・・のではなく、リジェクト、すなわち不採択だったのである。
最終的には2017年に別の雑誌に投稿し直して、アクセプトになったが、2年くらいのリバイス期間を経て、最終的にリジェクトという目にあったのである。
もちろん、残念ではあったのだが、そこはすでに大人になっていて、「まあそんなこともあるよねくらいの気持ち」である。しかし、大学院生くらいの時だったら、もう発狂しそうな状態かもしれない。
事実、私の最初の論文もリバイスは1年半かかった。最初の論文のはずが、それくらいかかったので、2本目になってしまったが。その3ヶ月前くらいに別の論文がすんなり通ったので、本当に救われた。これがなかったら、PhDを取るまで至らずにやめていたかもしれない。こういう紙一重の状態で研究している大学院生、ポスドクも多いのではないだろうか。
あまり救いにならないかもしれないが、常々、「リバイスを言われるのが当たり前」「論文投稿は終わりではなく始まり」と述べている。投稿してからがとても長いことを心に止めておかなければいけない。どうしてもすぐにアクセプトして欲しいと祈ってしまいたいところであるが、祈りではアクセプトは近づかない。
ということで、表にはリバイスの大変さがでないのであるが、みんな苦労して途中で辞めてしまいたいくらいの気分になりながら、なんとかアクセプトまで持っていっていると思う。
リバイスが苦しくても、自分だけではないことはぜひわかって欲しいと思う。初めから長期戦であることを覚悟し、途中土中休憩しながら美味しいものを食べて、長い目で少しずつ論文を改善していくことが大事であると思う。
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