2020年7月9日木曜日

何のために論文を読むのか?

研究活動に入れば、論文を読むことが必須になる。

最初のうちは、教科書を読んだりして周辺の知識を得ていく。しかし、それはあくまでも準備段階。自分の分野の知識を得るには論文を読んでいかなければならない。

分野によって異なるだろうが、バイオ系では論文は当然英語。英語の科学論文を読んで理解していかなければならない。

実験をするのに忙しいと、ついつい論文を読むことを疎かにしてしまう。実験ではなくとも、他の業務がある自分も、気がつくと全然論文を読まずに時が過ぎてしまったりする。

そもそもなぜ論文を読むのだろうか?

論文を読む意義はたくさんあるが、簡単に言えば以下の通りである

1. 研究目標を決めるため。
そもそも研究とは、世界で誰もが解き明かしていないことをテーマとして行うものである(めちゃめちゃ偉そうだけれど)。

何がわかっていて、何がわかっていないのかということを知ることは、実は非常に難しい。

わかっていないことを探すのはとても難しく、ひょっとしたら自分の見落としだけかもしれない。

ここをサポートするために、便宜上、教員がテーマを与えることになっている。ただし、いつまでも教員が与えたテーマで、すべて言われたことをやっているだけだと、研究しているとは言えない。

自分でわかっていないことを探し、その中から自分がすべきことを見つけることができて、はじめて本当の研究活動に入ったと言える。

2. やらなくてもよい研究を省くため
巨人の肩の上に立つというのが科学の言葉。ようするに、先人たちの膨大な知識を前提に、その次から研究を進めることができるということである。

全然論文を読まずに実験をすることもできる。培養の温度や時間、湿度や培地の栄養などを変えればいくらでも実験ができて、データは得られることだろう。

しかし、それをすべてやっていると、いくら時間があっても足りない。

そうしたときに、論文の知見を利用することで、例えば最も大事と思われる要因だけを変えて実験をすることができる。

なので、どんなに実験をいっぱいやって頑張っているように見えても、実はもうすでに類似のことがやられていて、その知見を使えばやらなくてもよかったということはたくさんある。

実験などで体が疲れると、それだけで満足感を得てしまう。しかし、実際には研究そのものが進んでいるわけではない。なので、自分の評価と他人の評価が離れていくと思う。

3. 得られたデータの意味を知る。
データが得られれば終わりというわけではない。

どんなに素晴らしいデータがでても、その解釈は本人による。本人側の解釈によって、ネガティブデータにしか見えなかったものが、ポジティブデータに変身することがある。

これは自分もいまだに経験する。特にオミクスデータなんて、1年くらいすると全く違うものに見える。

ここはまさに研究者としての実力と言えるのではないだろうか。



ということで、論文を読むことは、研究にいろんな意義をもたらす。上記のことは自分もまだまだ修行中。他の業務が入ると、あっという間に論文が読めなくなるので、日々反省している。頑張って隙間時間で論文を読まなければ・・。




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