2023年12月8日金曜日

査読依頼のミスに見る全体的な疲弊感

先日、 自分の論文が、自分のところに査読依頼されるということがあった。噂には聞いていたが、本当にこんなことがあるのかと驚いた。


ただ、自分もエディターをやっているので、これはよくわかる。


査読依頼をしても全然受けてくれない。そして、依頼して数日経ってまた依頼し直し・・と、時間が空く。そうすると、これ誰の何の論文だっけ?となる。


さらに、これらの仕事がなぜか無償奉仕。完全にボランティア。そりゃミスも起こると思う。


こうしたミスを、最近流行りの論破して嘲笑したいみたいなことをしたいわけではない。


なんか色々な問題と、根っこが同じだなと感じている。


過去のブログでも、学会のボランティア仕事が多すぎて、辞めた話を書いた。


昨今の先進国は、少子高齢化。上はリタイアしていく。しかし、新しい技術やシステムがどんどん生まれ、毎年毎年新しいことを学んでいかなければならない。


ここ数年でも、クラウドやオンライン、そしてAIなど、新しい技術を仕事に組み込むとともに、組織でどのように扱うか、枠組みや決まりをつくなければならなかったと思う。


さらに、テクノロジーが進歩した分、1つの仕事に要求される仕事量が増えてきた。科学技術の論文が顕著で、昔と今では1本の論文に要求されるデータ量が全然違っている。


こうして仕事だけはどんどん増え、一方で、先進国では少子高齢化で仕事をする人が減っていく。すなわち、一人当たりの仕事量が激増している。


こういう状況になれば、疲弊してミスが出るのは当然である。


色々なところにこうした疲れが見えている気がしてならない。


かくいう自分も、会社の方で、今週漏電を起こしてしまい、幸い大きな事故にはならなかったが、プラグ差し込み口の交換をすることになってしまった。


こうして疲弊からくるミスや事故が増えていってしまうのではないかと懸念している。


なので、査読依頼なんていうのは、別に誰が傷つくわけではないので、事故になってしまうようなミスだけを避けるしかないかなと思っている。


仕事を減らすことに、もっと積極的にならなければと思う次第。





とりあえず事故には気をつけましょう・・・。

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