2019年7月23日火曜日

忘れっぽくなろう。過去に囚われると研究が苦しくなる。

研究というものには、非常に大きな夢がある。病気を治す、環境を守る、生命の神秘を明らかにするなど、基礎から応用までとても大きな目標を有している。

一方で、そのような大きな目標はなかなか達成できず、短期的なゴールにたどり着くのも一苦労である。

科学の成果は、学術論文として発表するなどによって初めて公の成果となる。しかし、どのような論文であっても、年単位の非常に長い時間がかかる。

また、実験をしていると、びっくりするくらい些細なことで止まってしまい、あっという間に1、2ヶ月が過ぎてしまったりする。

研究の理想は高くとも、現実は困難に満ち溢れている。

なので、研究では、過去の失敗に囚われるとどんどん精神的に苦しくなってくる。

研究者としてうまくいっている人を見ると、忘れっぽい人が多い気がしている。

そういう人がうまくいくのか、研究を続けていくうちにそうなったのかはわからないが、その方が研究に向いているのだろう。日々の失敗にいちいちくよくよしていたら、体と心がいくつあっても足りないからだと思う。

研究は、加点法の世界。すなわち、10回失敗したとか、20回失敗したとかは関係ない。成功した回数が何回であるかが大事で、成功率は関係ない(時間や労力は使ってしまうが)。本来は、失敗に囚われて時間や労力を使う必要がない世界である。

しかし、人間というものはプライドを有する生き物である。そのため、失敗をすると「自分の責任ではなかった」、「状況的に仕方がなかった」などのストーリーを必死に組み立てようとする。ストーリーを完成させて自分を納得させるのだが、将来の改善に繋がるのならば良いが、単に自分を慰めている場合は、時間を浪費してしまう行為となってしまうことも多い。精神的に楽になるのでは?と思うかもしれないが、自分でも無理やりなストーリーであることをどこかで認識しているので、あまりすっきりとはならない。

周りを見ていると、研究に向いている人たちは、忘れっぽい人が多く、見かけ上ポジティブな性格をしている。本当にポジティブな人もいると思うが、単に忘れっぽいだけなのではないかと思える人もたくさんいる。

一方、忘れっぽいと、例えばインフラ関係の仕事や事務職などには向いていないと思う。なので、別に忘れっぽいから素晴らしいということではない。

理系では、まず研究室で研究職というものを疑似体験することになる(実体験と言ってもいい気もするが)。研究を行ってみて、自分の性格を分析し、自分の適性を見るのがよいと思う。

適性を間違えて、過去に囚われてしまう性格なのに研究の道に進むと、かなり辛い目に遭うと思う。進路選択はコントロールが取れないのでとても難しいが、じっくり自分の性格と向き合ってほしいと願っている。

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