(ちなみにいきなり話はそれるが、「大学は遊ぶところだ」なんて言っている大人は信じない方がよいので、これで良いと思う。単に若者がたくさん勉強して実力アップされて追い抜かれるのが怖いから勉強するなと言っているだけである。)
私は環境化学実験、環境分析実験などを分担で担当している。他にも農学科の化学実験なんかも担当している。
私が担当の環境化学実験・環境分析実験では、微細藻類であるスピルリナやクロレラを用いて、分光光度計や簡易的なクロマトグラフィー、硫安沈殿やBCAタンパク質定量、SDS-PAGEにブロッディングなどを行う。分子生物学・生化学などで用いる基本的な技術を習得するのである。
上記のような実験を行うのであるが、その後当然レポートを書かなければならない。この環境◯◯実験だけでも、半期に4つレポートなどを書くことになる。いや、本当に大変だ・・・
しかしながら、これらのレポートに始まり研究論文作成につながっていく「文章を書けるようになること」は、大学教育のもっとも重要な項目の一つであると考えている。ここでいう文章は、英語ではなく、日本語の話である。
こんなことをいうと「日本語の文章?いや、日本人で大学受験に通ったくらいなんだから、書けるに決まってるでしょ?」と思う人も多いかもしれない。いや、自分が学生のときに言われたら、「自分の方が文章うまいよ?」と反論すると思う。いや、実際に言っていた気がする笑。
正確には、大学教育で学ぶような文章は「科学的な文章」(人文科学や社会科学も含んだ科学)であるが、もう少し一般的な「仕事で使う文章を書ける」ようになるということであると思う。
上記でいう「自分の方がうまい」文章とは、「心情を綴るような文章」や「小説のような文章」のことを指すことが多い(それらも勉強しなければ、簡単にかけるものでは全くないはずだが)。
ということで、シリーズとしてレポートの書き方をブログで綴る。
まずレポートを書くためにやることは、高校までたくさん書いてきた感想文や物語文とは全く違うことを認識する必要がある。
そして、レポートをはじめとする科学の文章には形式がある。それらを逸脱して「自分は名文を書いている」といくら主張しても、認められない。いうなれば、野球の試合にテニスラケットを使ってホームランになっても、それは野球でない何かになるだけあり、野球として認められないのである。
成績の良い人ほど自分の文章力に自信があったりする。そして、「小説家になれるかも?」なんて考えたことがある人もそれなりに多い。
そのような文章力を否定するわけではないが、科学やその他の仕事の時には小説のような物語文や感想文と明確に分けなければならない。当たり前だが、同じ文章なので、忘れてしまいがちなところでもある。
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